阿城インタビュー

「私は自分のものしか書けない」

阿城は米国ニューヨーク大学アルバニー分校とアイオワ国際著作センターの招きで米国を訪問した。在米期間中、在米中国人留学生および『華僑日報』文芸副刊の主催する座談会に出席し、インタビュー形式で創作に関する様々な問題を語った。

問:あなたは長い下放体験をお持ちですが、農村の生活はその後の創作に大きな影響を与えていますか?
答:私に一種の創作の状態をもたらしたといえる程度です。
問:農村には本がありませんが、本が読めないという問題を、あなたはどのように解決しましたか?
答:民俗の影響があります。本がなくとも知識は民間にありますから。「文革」のとき都会では本を焼きましたが、農村には却って本が残っていました。農民のおばあさんは、靴型を本の紙を切ってつくりましたから、ベッドのしたをひっくり返せば、ページの欠けた本が出てきました。私は農民たちからその靴型用の本を借りて読みましたが、それで私の読んだ本にはどれも最初と最後が欠けているのです。
問:あなたへの影響がもっとも大きかったのはどんな本ですか?
答:「もっとも」というのは生まれてこのかたありません。どんな本でも読みますから。たとえば「雷鋒おじさんの物語」も興味深く読みました。
問:「棋王」の主人公王一生はとてもメンツを大事にするようですね。私は結末の違うもう一つの「棋王」を読みました。王一生がその後知青食堂で食事をしているとき、誰かが「あんた将棋やめたのかい?」ときくと、王一生がお碗を叩きながら、「やっぱりここの飯が一番だ」と答えるんですよ。私は最初の結末の方が今のよりいいと思うのですが。つまり道家的な悟りの味わいがありますから。どうして結末を変えたのでしょうか。本を出版するために、そう変える必要があったのでしょうか?
答:それも版本の一つですが、ほかの版本もあるはずです。『西遊記』にも『三国演義』にも異なる版本がありますが、それらはすべて作者の死後出てきたものです。私は幸運にも生きているうちに自分の異なる版本を見ることができたわけです。しかし思うに国家の出版局から出ているものだけが、正統の版本となるので私も安心して署名することができるのです。
問:あなたの創作の素材はどうやって得たのですか?御自分の体験それとも取材で得たもの?
答:両方です。例えば私は「棋王」を書きましたが、自分では将棋はできませんし、棋譜もわかりません。ただ「玉前正面の砲には馬を跳ばす」という言葉を知っているだけです。たとえ私が将棋ができて、定石の棋譜に通じていたとしても、そういう書き方はしなかったでしょう。国内には小説を書くのに過程を細かく書くのを好む作家はたくさんいます。例えば鉄はどのように精錬されるか。しかし鉄鋼労働者については、大して書きません。私は人間を書くのを主にしています。
問:あなたは、きっとたくさん趣味がおありでしょう?
答:これが私の最大の弱点です。子供のころは伝統的な家庭教育を受けました。だから仕事はできますが、娯楽は苦手です。けれどもそれは小説を書く障害にはなりません。農民はこんなことを言います。「ブタを食ったことが無くても、ブタが走るのは見たことがある」と。私はダンスはできませんが、ダンスを見るのは好きです。街に行くと、よく喧嘩をしている人を見ますが、その当人より周りを囲んでいる野次馬の方が面白いですよ。心理状態とか顔の表情とかとっても豊かなんです。
問:「棋王」はどういう経緯で発表されたのですか?
答:私が「棋王」を書くと、一人の友人が読むために持っていき、「上海文学」誌の編集をしている彼の友達が、彼の家でその原稿を見て、持って行って発表してしまったんです。私がいいとも悪いとも言う暇はありませんでした。原稿の点や丸もきちんと打たないうちに、発表されてしまったんです。発表されると、騒ぎになって、私も持ち上げられることになりました。
問:「棋王」の王一生の道家流将棋から、あなたが道家の影響を受けているということがわかりますが、全体から言えば、あなたの本もあなた自身も儒家的な雰囲気があります。あなた自身はどう思われますか?
答:口で表現したものは、「禅」ではありません。書いた文字も同じで、内在的なものは文字の表面からは読み取れません。作家は作品にあまり多くのものを盛り込んではいけないと思います。私は創作するのに余りインスピレーションにはよらず、状態によります。百メートル走のように銃声でスタートするのは、インスピレーションに似ていますが、速く走れるかどうかは選手の状態によるのです。インスピレーションでは書き始められるだけで、何万字も書き続けるのは作家の状態が如何にあるかによるわけです。 状態というのは一種の「禅」であって、口に出して言うことはできません。音楽を聴くと悲しい感じがする。しかし千人の聴衆がいたら、それぞれの体験にもとづいて千種類の異なる悲しさを創り出すのです。
問:あなたの小説は、国内の普通の作家と違ってあまり大きな問題、例えば政治や社会や性あるいは経済改革といった方面には触れようとしませんね。生活の瑣末な出来事を書くばかりで、比較的中庸ですから、儒家の傾向があるとみなされるのでしょう。
答:人にどう思われようと気にしません。自分の感覚では、著作は審美活動にすぎません。しかし芸術作品に政治や社会の問題、宇宙の様々な関係が含まれていても、審美的な態度でそれを反映しなければならないのであって、直接的な説教をするものではありません。
問:あなたは以前は星星派の画家でしたが、いつ頃絵を勉強されたのですか?
答:勉強したことはありません。子供のころから絵が好きでした。後に自分で描き始めたのは、生計を立てる手段としてであって、芸術のための芸術という境地には達していませんし、絵を描くことにそれほど一生懸命になったこともありません。
問:比較したら、どちらの活動が好きですか?
答:絵の方ですね。絵は最もよい芸術です。一目見ただけで全貌を概観できます。小説はずいぶん時間をかけて、それでやっと一部分が見えるだけですから。空間芸術が時間芸術よりいいところはここです。
問:あなたの作品が社会問題に触れたがらず、客観的にも触れていないということを、あなたはどう思っていますか?
答:思うに誰も自分自身であるのみで、何かの様式ではないのです。評論家には作家を極端に論じるのが好きな人がいて、まるで重量挙げのできる人にマラソンもできればいいと書くのです。そしてそれができなければ常に嘆息して、もし彼の足が彼の腕と同じくらい力があればいいといいます。こういう評論は正しい道を踏み外しています。私は自分のものしか書けませんし、何でも書けるようになりたいとは思いません。
問:あなたの作品は感情の発露でしょうか?
答:多分生理学的な意味での排泄ですね。執筆は状態によると言いましたが、気の量によると言ってもいいでしょう。気が尽きれば筆を擱きます。皆さん余り注意しておられないようですが、私の書いた三つの「王」は字数が同じくらいです。それは私の気の量がそれぐらいであるということを表しています。毎回尽きるまで排泄するのです。
問:あなたの作品は何年くらい残るでしょうか?
答:外に教会がありますから、神様にきいてください。私には予測できません。
問:醜い人が美しい作品を書けるかどうか、お伺いしたいのですが?
答:違う原則に基づいた話ですね。芸術原則と生活原則。この両者は同じではありません。小説から逆に世界や作者のことを推論するのを好む人がいますが、これは愚かです。小説を読んでその作者が好きになっても、結婚すると、いろいろ矛盾が出てきます。芸術と現実の生活とは異なるので分けなければなりません。
問:長編小説を書く気持ちはおありですか? 答:気が不足しています。中編しか書けないでしょう。
問:あなたの作品は外国語に翻訳されていますか?
答:ドイツ連邦でドイツ語版を準備しています。

(『当代中国作家百人伝』求実出版社)

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