楊牧(大陸)

Yáng Mù
楊  牧
よう・ぼく

(1944-  )

楊牧自伝:

 私は1944年3月16日に、四川省渠県の没落した封建家庭に生れた。もの心がついた頃より、家は既に歴史お廃墟となっていた。初級中学に上がっただけで、 非主観的原因により退学せざるをえず、故郷に戻って畑を耕した。村の小学校教師を務めながら、通信教育と独学で師範大学中文系の課程を修めた。14歳の時にたまたま発表した一 篇の詩によって、私の一生の嗜好と波瀾の半生が決定づけられたのである。生活が不安定であったため、19歳の私は、風光明媚な南方の故郷に別れを告げ、1人西北地方へと放浪の旅を続けた。そして、天山山脈の北にあるグルバンテュンギュト砂漠の最果ての地で、“建設兵団”として開 拓生活を10年余り送ったのである。また、その頃新疆に下放されていた詩人の艾青と知り合った。一度の社会の混乱により、私は苦境のどん底に陥れられて、人間としての価値と尊厳を完全に喪失してしまったのである。34歳に なって漸く徐々に自己を取り戻していき、再び詩の創作に着手するに至った。
 1979年『詩刊』に発表した新時期以降初めての大型詩劇となった『在歴史的法廷上』が人々の注目を集めた。翌年出した叙情詩「我是青年」が全国青年詩人優秀作品賞を授賞した。その後、 「当代」「今天」「致長者」などの一連の思弁的作品を発表していき、私は自分の創作活動における最初のピークに達したのである。1982年以降は自我意識と西北地方の風土が浸透し合った、いわゆる 「西部詩」の創作へと移っていった。そして、「痴情」「辺魂」「雄性的大西北」「我骄傲,我有辽远的地平线」等の真摯で、雄壮な、そして飾り気の無い作品において、歴史的意識と現代的意識が織り混ざリ合った新しい追求が、徐々に見られるようになったのである。私と数名の友人を代表とする 「西部詩流派」が形成された。
 1982年中国作家協会加入。1984年新疆生産建設兵団文学連盟副主席、石河子市文学連盟副主席。現在『緑風』編集主幹。

(『当代中国作家百人傳』1989)

作品集・単行本

『緑色的星』 詩集 新疆人民出版社 1980
『野玫瑰』 詩集 四川人民出版社 1983
『夕阳和我』 詩集 湖南人民出版社 1983
『复活的海』 詩集 人民文学出版社 1983

 
 

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