Zhōu Shòujuān
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(1895-1968) |
周痩鵑小伝:本名周国賢、字は祖福、筆名に痩鵑、紫羅蘭庵主人、泣紅などがある。蘇州の人。上海の民立中学を卒業し、母校に残って教鞭をとりながら、創作と翻訳に従事。処女作は1911年の『百合魔』で、『小説月報』に掲載。フランスの小説を脚色した『愛の花』が春柳社によって上演される。1916年から1949年までの間は上海で、中華書局、『申報』『新聞報』の原稿選定人及び編集の仕事に従事。その間『申報』副刊の編集長を10年余りつづける。『礼拝六』『紫羅蘭』『半月』『上海画報』などの刊行物を編集した。コナンドイルのホームズシリーズを翻訳するなど、訳著も多い。上海が日本軍に占領されると、創作を放棄し、盆栽店を開いて毎日を過ごした。戦後蘇州に有名な「周家花園」をつくる。1968年迫害されて死去。現在は名誉回復されている。 (『中国現代作家大辞典』新世界出版社 1992) |
作品集・単行本『拈花集』自選散文集 1983 |
作成:青野繁治 |