Zhōu Tāo
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(1946- ) |
周濤小伝:私は1946年に山西省シ路城県に生まれた。六歳のとき、北京で小学校に通い、9歳で父についてウイグルに行き、19歳のときに新疆大学中国語系に入った。1972年に作品を発表し始め、1979年に新疆人民出版社から長詩≪八月的果園≫を出版した。今はウルムチ軍区政治部の工作員をしている。私は近年、新疆地区に現れた青年詩人団の一人である。私は以前、この様な自評を書いたことがある。「72年に発表した作品は、数年間は時世にあわせただけの定見のないもので、詩とは何物なのかも分かっていなかった。少しして、多少分かってくると、やっと情景や風俗にその時代背景を取り入れ取り入れたり、あるシーンを撮影したり、絵を模写したり出来るようになり、自分でもしめたものだと思うようになった。最近また少し困ったことがある。塹壕にぶつかっても飛び越す力がないのである。今時の言葉でいえば、“突破”とでも言うのだろう。壁に向かってもまだこれを突破できないとはいえ、少しずつ道理が分かってきた。芸術とは厳粛なことであり、すぐに成功や利益を求めることは無理である。」 五十本の弦が西域に響く 西域は歴代の詩の発祥の地である。優秀な国境付近の詩は、西域の大宛馬やカザフの恋歌のように人に 激情や、後味、そして新しく清らかで剛健なメロディを与える。 (『中国当代作家百人傳』求実出版社1989) |
作品目録『八月的果園』長詩 新疆人民出版社出版 1979 |
受賞作品『神山』全国第三回(1983-1984)新詩奨 |
作成:神崎麻里子 |