朱春雨

Zhū Chūnyǔ
朱春雨
しゅ・しゅんう

(1939-  )

朱春雨自伝:

 満州人。1939年5月4日遼南蓋県、中長線路沿いの小さな町に生れる。
 中学時代は、反米援中、中ソ友好、大躍進のスローガンの中を過ごした。成績は優秀。また、この頃から詩を書き始める。
 1959年高校を卒業、物理を学びたかったが、いろいろな理由で願いは叶わない。この時、長春映画制作会社の入社試験を受け,研究員となる。この期間、映画記録係をしたり、編集をしたり、詩、散文、小説を作ったりした。50年代末から60年初にかけて<人民文学>や当時の国内版の<大公報>等の新聞、雑 誌に作品を発表した。また、ソ連の文学作品を翻訳する。だが、映画の脚本作成には成功していない。
 1963年の冬から、長白山林地区の生活を体験する。”文化大革命”が始まってから長白山蜜林に下放され、学習労働をさせられる。丸太を持ち上げたり、土地を耕したり、やれることはすべてやり、出来ないことでもやった。現地の山民の、誠実さ、温厚さに心打たれ、それらを詩に綴る。非常に深い味わいがある。15年間山民として過ごし、私の根源はそこにある。
 40歳で従軍し、地方から軍隊に移動し、専業作家を務める。時、正に1979年2月。1983年秋、ソ連を訪問する。発表した作品は、300万字に及ぶ。中国共産党員となり、現在は中国作家協会理事に就いている。

文学は鍋である

 文学において、真実よりも重要な事があるだろうか。たとえ、充分な理由で偽りを作り上げたとしても、それは罪である。どんなに完全な経史子集にも、文学のような生き生きとした具体的なイメージは、あるはずがない。それは、読者をこの世のうさんくさい環境の中に連れていくことが出来る。そして、その環境が虚構でつくりあげられたとしても、それは時代、読者、自己、私達のこの世界において真実なのだ。
 私達が、自分達の祖先が残した古い、歴史のある文明を継承し、誇り昂ぶる資格を有しているとき、同時に、祖先が残した欠点も継承している。どの民族もそうなのだ。超然とした幻も、現実を抜け出せなかった延長で、どんなに巧みに万華鏡を動かせても、色とりどりの紙屑や三角ガラスがなかったら、どんなに美しい光景も存在しない。文学創作の主義の多くは、人々を感朊させることで、残在する貴重な文化財には、これがある。つまり、上っ面の知識は、その中身の肉の上に形成されその中身の肉が、どのような主義をもっているかが重要なのだ。
 かつての一説に、作品は、時代の鏡であり、正確にすべてを反映してくれることを期待する、というのがある。しかし、意外にも鏡の質の優劣と、鏡のぶらさがっている角度を知らないため、よく生活本来の姿を変化させている。執事者は、文学に教え導く役割を要求し、鏡に大きなイメージを写し出すことを要求し、それを世人の基準と考えている。一般人は、鏡に映った人は、自分とは全く違うと思い、自分と共鳴できる人物の出現を渇望する。作者は、全体を包括したいと思っているが大抵は実力が伴っていない。平視、仰視、附視は三種類の観察と思考の角度で、三種類の表現模索の感動で、それらは同時に一つの頭の中で沸き立たなければならない。つまり、文学とは決して鏡ではなく、鍋であるのだ。作者が、どのようなスープを煮込み作れるかは、先ず、原料がどのようであるか、また作者の願望も見なければならないのであって、作者の技術はその次なのだ。  間違いなく、どの作品にも作者の主観意識がしみ込み、あなたの感情が流動している中にも、あなたの心の声が存在している。主観的、客観的操作は、技量を表し文学的才能、あるいは風格を表し出す。
 感動がないと、本物の創作行為は有り得ない。創作行為は、だが、感動だけから生れる物ではない。曹雪芹、レフ・トルストイ、それにアガサ・クリスティーヌの中で、誰の読者が多いだろうか。前者の創作行為は、感動の他にも、さらに多くのものがしからしめている。そして後者の創作行為は、感動からでは知ることが出来ない、常套手段だが、実際目で見ているものから、生れている。通俗的な文学が、あっても良いし、しかも、あるべきなのだが、文学の原動力は、それではない。
 文学の窓は、大きく開かれなければ、通り抜ける空気は、国粋にかびを生えさせるまでには至らず、却って、長年益々栄えさせることになる。閉鎖された部屋で、自己陶酔に陥り、結局、突然やつれて自暴自棄になり、責任を鏡に押し付けるというのは、悲しいことだ。中国古代の鏡は、すべて金属性で、銅鏡は、落ちて壊れるのを恐れているのではなく、湿り気のあるところでは、苔をはやしているだけで、一度拭きとれば、元通り人を映すほど、光輝くことができる。
 私は、今まで、中国人は外国人よりも劣っているとも、当然のことだが、中国の作家も外国の作家より劣っているとも、思ったことがない。一頭の牛のように、自分が耕すべき土壌を耕そう。そうすれば、秋にはより良い収穫が得らえるはずだ。

(『中国当代作家百人傳』求実出版社1989)

作品集・単行本

『血菩提』

 作成:松沢麗菜

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