Qián Xuántóng
|
(1887-1939) |
銭玄同小伝1887年9月12日浙江の湖州に生まれる。元の名は銭夏、字は徳潜。五四運動の前に玄同と名前を変える。中国の現代思想家であり、文学者であり、新文化運動を支持し、国字改良を唱え、ローマ字ピンインの法案を唱えその作成に関わった。 1906年に早稲田大学で学び、章太炎や秋瑾と交流があった。三十年代は「世界日報」の文芸欄「世界語の光」に寄稿した。1908年に魯迅や黄侃などの師表にはじまり、章太炎から国学を学び、音韻や訓詁や「説文解字」を研究する。1910年に国に帰って中学の教員や北京高等師範学校付属中学の教員、高等師範学校国文学系の教授、北京大学の教授などをつとめた。 1915年9月15に陳独秀が刊行した「新青年」という文学革命の啓蒙雑誌に、魯迅・胡適・李大釗・呉虞・周作人などの人々と同じく、銭玄同も熱心に寄稿した。銭玄同は漢字の廃止を主張し、文字革命の宣伝に尽力し、新文化運動の中心人物となった。語文革命運動のなか、彼は封建的文化に立ち向かった。彼は文語文に反対し、白話文を推奨。 |
作品目録『〈広韻〉四十六字母標音』(《国語旬刊》1929年第1巻第9期) |
著書・単行本『銭玄同 国学文稿』 |
参考資料 |
作成:久保田里織 |