聶華苓

Niè Huálíng
聶華苓
じょう・かれい

 (1925.1~ )
小伝

 武漢生まれ、湖北應山の人。父親は中共紅軍によって1934年に殺害されている。1944年南京の国立中央大学経済系に入学の後、外文系に転入、1948年に卒業。1949年、中華民国政府について台湾に移住。『自由中国』半月刊の編集を1960年の停刊まで勤め、その後台静農に招聘されて、国立台湾大学で教鞭を執った。その後東海大学の授業も兼任し、作家余光中と知り合う。1963年米国中台領事館のパーティで、ロックフェラー基金の招きで台湾を訪問していた米国の詩人ポール・エングルと知り合い、アメリカに招待される。1964年にアメリカに移住、アイオワ大学で教鞭を執る。1971年エングルと結婚。1978年親戚を訪ねる名目で中国大陸に戻り、南京などで講演会を開く。1982年米国ニュースター国際文学賞の審査委員となる。2009年頒花蹤文學獎,世界華文文學大獎を受賞した。代表作に長編小説『桑青與桃紅』がある。

以上「維基百科」に基づき整理

国際作家創作室について

 聶華苓は米国詩人ポール・エングルとアイオワ大学「国際作家創作室」を創設し、その主任となった。米国国務院の援助のもとで、「国際作家創作室」は国際的名声を有する大きな文化機構となり、台湾、日本、フランス、東西ドイツ、フィリピン、中国大陸、インド、イラン、ユーゴスラビア、ルーマニア、ポーランド、トルコ、香港、アルゼンチン、パナマ、カンボジア、韓国、シンガポール、リビア、ウガンダなど70余りの国や地域の千名近い詩人や作家を接待し、世界平和と文化交流および人類の進歩に対する貢献を行なった。「アイオワ大学国際創作プログラム」と呼ばれる活動である。

(「維基百科」による)

著書

『聶華苓札記集』讀者文化出版事業有限公司 1991.10.9
『三輩子』聯經出版事業股份有限公司 2011.5初版2017.9二版

  
邦訳

『三生三世』島田順子訳 藤原書店 2008.10

作成:青野繁治

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