張恨水

Zhāng Hènshuǐ
張恨水
ちょう・こんすい

(1895~1967)

張恨水簡介

 現代作家。本名張心遠、筆名張恨水。祖籍は安徽潜山。江西廣信生まれ。1912年、父親が死去、母に従い、潜山に帰る。ほどなく「蒙蔵懇殖学校」に合格。その後学校が封建軍閥に封鎖されたため、卒業に至らず。再度故郷に帰る。1917年、新聞記者を始める。1918年、安徽蕪湖に行き、『皖江日報』の編集長を勤める。1924年、最初の長篇小説『春明外史』を完成させ、これが文芸創作生活の発端となった。初期の創作は鴛鴦蝴蝶派の影響を受けている。1919年秋、学業を続ける為、荷物を質に入れ、単身北京にいたる。その後前後して、上海の『申報』北京通訊社、北京『益世報』編集部、北京世界通訊社、聯合通訊社、北京『朝報』『今報』編集部に勤める。『世界晩報』(1924年創刊)『世界日報』(1925年創刊)の創刊後、彼は両報の副刊の編集主任を掛け持ちした。20年代以後、旧式の言情小説の古い型を脱し、リアリズム創作の道を歩み始めた。1930年3月、上海『新聞報』が彼の『啼笑因縁』を連載し始め、大衆に歓迎され、話劇、映画、弾詞などに改編され、世間をあっと言わせる作品となった。1931年自ら出資し、弟牧野が顔を出して、北平に北華美術専科学校を創立。1934年夏、西北を遍歴、みずからの見聞をもとに長篇小説『燕帰来』『小西天』を書きあげた。1935年上海に行き、『立報』副刊の主編をつとめる。1936年南京で張友鸞と共同して、『南京人報』を創刊。1938年には重慶に行き、重慶『新民報』主筆兼副刊主編の職務につき、重慶での生活と創作が始まった。1945年12月、重慶を離れ、北平に戻る。1946年2月、北平『新民報』経理を勤める。1948年12月、北平『新民報』のあらゆる職務を辞し、40年近い記者生活を終えた。1949年1月『著作人生の回憶』を発表した。これは彼が自分の生活と創作を回想する最も詳しい資料である。これまでに、彼の比較的重要な作品は、初期には『春明外史』『金粉世家』『銀漢双星』が、30年代には小市民とプチブルの生活を題材にした『啼笑因縁』『夜深沈』『落霞孤鶩』『満江紅』が、抗戦機関には、抗日戦争を背景とし、市民階層の歓喜、悲哀、離合、愁いと苦難を描いた『熱血之外』『風雪之夜』『石頭城外』『大江東去』『巷戦之夜』『蜀道難』が、抗戦勝利後には、国民党当局の腐敗政治を暴露し旧社会の悪弊を題材とした『八十一夢』『紙酔金迷』『五子登科』『魍魎世界』(別名『牛馬青』)などがある。新中国成立後、中国作家協会に加入。前後して、作家協会理事、文化部顧問、中央文史館館長などの?を歴任。それより後、彼は旧作の修訂再版を行なったほか、歴史物語『梁山伯と祝英台』『白蛇伝』『孟姜女』などの書き換えを行なった。張恨水の創作生活は50年近くに及び、不完全な統計によれば、中長篇小説120余部、雑文5000編および大量の詩詞を創作した。彼は中国現代文学史上、影響力のある多産作家であり、その小説は、ストーリーが複雑で、言葉は素朴かつ自然、我が国の伝統的章回小説を継承し、発展させるという方面で、貢献をした。(曾冬水:記)

(『中国文学大辞典』第五巻 天津人民出版社 1991.10)

 著書・単行本

『啼笑因縁』浙江人民出版社 1980.5
『八十一夢』四川人民出版社 1980.7
『張恨水選集5 雁帰来』安徽文藝出版社 1986.2

  
 
 研究書・参考書

『回憶我的父親張恨水』張明明/著 百花文藝出版社 1984.11
『閑話張恨水』董康成・徐傳礼/著 黄山書社 1987.12
『文人的黄昏――通俗小説大家張恨水評傳』張毅/著 華夏出版社 1991.6

  
 邦訳
研究書(日文)

『張恨水の時空間 中国近現代大衆小説研究』阪本ちづみ/著 勉誠出版 2019.3.29

作成:青野繁治

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