紹介
丘東平は著名な現代作家で、中国現代戦争文学の開拓者である。
丘東平は片手に鉄砲、片手にペンをもつ戦士作家である。短い生涯において、土地革命運動と抗日戦争を体験した。青年時代に彭湃が指導する海陸豊農民運動と三度の武装蜂起に身を投じた。満洲事変後は、十九路軍に入り、上海事変一・二八淞滬戦及び抗日同盟軍の熱河作戦に参加した。それ以後、反蒋、聯共、抗日を趣旨とする「福建事変」および「兩広事変」にも参加している。盧溝橋事変後は、「八・一三」第二次上海事変に参与したのち、すぐに葉挺将軍の指導する新四軍に加入し、陳毅将軍に従って江南へと進軍、蘇北へと転戦し、最後に華中で「魯藝」の教員と学生が包囲突破する援護をするなかで、壮烈な戦死を遂げた。31歳の若さであった。
丘東平は幼少より文学を好み、異なる環境のもとで各種の文学団体や刊行物の編集活動に参加した。軍隊においては、前線の宣伝鼓舞活動に直接参加した。丘東平はまさに自分の豊富な革命運動と抗敵闘争の体験をもとに、写実的な文学作品を創作したのであり、最初から、革命幻想を抱いていた左翼作家とは異なり、非凡さを最初から示しており、魯迅、茅盾、郭沫若らの大家から関心と肯定の意が寄せられていた。抗日戦争の勃発後、特に新四軍結成後は、一連の前線を反映したルポルタージュが、いっそう文芸界の震撼と広大な読者の強い共感を引き起こし、抗戦前期文学における重要な代表人物となった。
中華人民共和国成立後、極「左」路線の思想的影響によって、革命烈士としての丘東平は、長期に渡って不公平な扱いを被り、その文芸的観点が批判に遭い、その文芸作品は1953年に出版された『東平選集』一冊を除けば、再販流通させることができなかった。文学史においても、意図的に貶められるか、無視されるかであった。70年代末に改革開放が行なわれて後、文化思想は混乱を是正し、本筋に戻された。丘東平とその文学も再び重視され正面からの評価が行なわれているが、今に至るも系統的で全面的な整理と研究は行なわれていない。
(『丘東平作品全集・出版前言』復旦大学出版社2011.7より)
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