陳荒煤小伝:
本名陳光美、初期の創作では、荒煤と署名、上海生まれ、湖北襄陽の人。
1927年の大革命時期に共産主義青年団に加入。1928年から1930年にかけて、漢口の湖北省立第二中学商業専科学校に学ぶ。1932年盛家倫、呂驥、張庚らと知り合い、武漢左翼戯劇家聯盟、反帝大同盟に加入、同年、中国共産党に加入した。
1934年秋、北平の『文学季刊』に最初の小説「災難中的人群」、この時期の大部分の短篇小説は、『憂鬱的歌』『長江上』の2作品集に収録された。1933年秋に上海へ行き、前後して上海劇聯および左聯の仕事に参加した。
1938年延安へ行き魯藝戯劇系で働く。後に文学系主任となり、報告文学の著作に十次した。「陳賡将軍印象記」「劉伯承将軍印象記」を書いている。40年代初めには、短篇小説集『在教堂裏歌唱的人』を出版。
1942年延安文藝座談会に参加。
1946年から49年にかけて、晋冀魯豫辺区、石家荘、天津、武漢などで、文化宣伝方面の指導工作を担当し、注意力は、それにともない次第に文藝理論方面へと移り変わって行く。
1952年から1964年までの間は電影局副局長、局長、文化部副部長を担当し、大量の映画方面に関する文章を執筆した。
「文革」後は仕事に復帰し、社会科学院文学研究所副所長、作家協会副主席、中国電影工作者協会副主席、第七期全国政治協商会議教育文化委員会副主任、文化部副部長及び文化部、社会科学院文学研究所顧問などの職を勤めた。(瞿勃)
『中国現代作家大辞典』新世界出版社 1992年
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