Luó Hēizhǐ
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(1898~1927.11.28) |
羅黒芷小伝本名羅象陶、字は晋思、号は黒子。原籍は江西南昌であるが、四川に生まれ育つ。辛亥革命前、日本の慶応大学に学び、革命同盟会に加入。大学卒業後帰国、辛亥革命に参加したことで逮捕される。1912年、湖南編訳局で翻訳に従事するが、編訳局の解散により、長沙の中学校で教員を務める。 1919年文学創作を開始、処女作『懺悔』は長沙市の『民治日報』に掲載されたが、これは自叙伝であった。1923年、李青崖らと『湖光』半月刊を創刊。1925年に文学研究会に参加し、署名を黒子から黒芷と改めた。 1927年、湖南省政府に逮捕され、出獄後まもなく長沙で死去。 その作品は多く悲惨で暗い生活を描くが、筆致は細やかで柔らかい。散文「甲子年終之夜」と「郷愁」が『中国新文学大系・散文二集』に収められているが、郁達夫はその序文で、羅黒芷の性格を「幽郁(鬱)」、文学を「玄妙」と称した。(亦飛)(中国作家網) 1927年の春から夏にかけて、激進思想の文章を書いたため、湖南省政府によって逮捕され、獄中で拷問をうけ、共産党員の嫌疑をうけ命を落としそうになったが、救い出された後、容態がどんどん悪化して、11月18日に病と貧窮のなか29歳で世を去った。死後、棺桶も買えないほど家庭は貧しかったが、友人たちの手によって死後のことが行われた。継母が残され、子供は幼く、妻は身ごもっていて、悲惨さが涙を誘ったという。羅黒芷の生年については、1889年とする説もある。(羅氏家園) |
著書『牵牛花』(散文集) 长沙北门书屋 1926 |
作成:青野繁治 |