廢名

Fèimíng
廢名
はいめい

Féng Wénbǐng
馮文炳
ふう・ぶんへい

 (1901~1967)

廃名小伝:

廃名、本名冯文炳、湖北黄梅県の人。1901年に生まれ、1967年に卒す。廃名の創作生活は1922年に始まる。出版した本としては、短篇小説集『竹林的故事』(1925年)、『桃園』(1928年)、『棗』(1931年)、長篇小説『橋』(上、1932年、下は未完成)、『莫須有先生傳』(1932年)、『莫須有先生坐飛機以後』(1947年から1948年まで『文学雑誌』に連載、未完)があり、他の人が集めて一書としたものに、『河辺』(開元との合同詩集1944年)、『談新詩』(1944年)、『招隠集』(1945年)などがある。
作者が1957年に『廃名小説選』を自ら編み、人民文学出版社から出版している。

1930年代の廃名

 廃名の初期の一連の作品、例えば「講究的信封」「追悼會」「審判」「浪子的筆記」には、反動軍閥政府が請願する学生を鎮圧した暴行に対する憤怒、社会の暗黒と醜悪に対する敵視、不幸な者に対する同情が表れており、これらは作者が「政治に燃えていた人」(『廃名小説選・序』)であったことを物語っている。そのこと で彼が強烈な反抗精神をもっていると言う者がいたり、この一時期の廃名が「叛徒」と称せられたことも怪しむにはあたらない。

 しかし、もう一度「浣衣母」「竹林的故事」「桃園」 とくに「橋」などの作品を読み直してみると、それらは先の作品とは格調がまるで異なることに気づくであろう。我々は、作家の筆で描き出される詩情画意に満ちた農村の自然の描写の中から、純朴な風土と人情のぼかしのなかから、善良な人物の魂の刻印から、全く現実生活の影を見ることができず、別の世界の出来事であるかのように思えるのである。これらの作品に描かれた生活を、現実逃避の桃源郷、理想のユートピアだと指摘するものがいる。それに基づいて廃名は「隠士」とも称せられるのである。長い間、人々はこれらの作品を廃名の代表作とみなして、彼の作品の創作風格を批評し論じてきたのである。

 注目に値することは、これらの作品が描いた人生の絵図のどれひとつとして完全なものがない、ということである。 あの静かで美しい風景は、常にさびしい雰囲気に覆われており、人物たちは、善良で慈愛深い翁、媼であろうが、天真爛漫な少女であろうが、その生活にはつくろうことのできない欠落があり、しばしば淡い哀愁がこれらの作品の中をめぐっている。それゆえ、我々がこれらの作品を読むと、陶淵明の『桃花源記』のように、その「理想世界」に心引かれるわけでもなく、王維の田園詩を読んだように、その美と静謐の自然風景に陶酔できるわけでもない。逆に失望感がふつふつと沸いてきて、人生の苦難に嘆息することになる。読者の感傷を促進する情緒は、まさに作者の苦悶彷徨ないし悲観的な思想感情の反映である、と言わねばならない。もちろん、そのような苦悶、彷徨、悲観はある種の「時代の病」であって、廃名だけに独特のものではない。 「五四」運動のあと、特に大革命失敗のあと、多くの知識人は失望の苦痛を味わった。彼らは壮烈な大衆の革命闘争に身を投じる勇気に欠けていたが、現実に埋没し、暗黒勢力に屈服することには甘んじなかった。もしこのような背景のもとで、廃名の作品を読むならば、単純に「隠士」とか「田園詩式」といった評語を用いることができない。それらは結局時代の色彩を帯び、作品に反映する生活は現実を根拠とするものだからである。

 確かに廃名のこれらの作品には、郷土の息吹が色濃く充満している。しかしそれによって、それらを「郷土文学」に区分するのは妥当ではないと思われる。というのは通常「郷土文学」と呼ばれる作品は、主にリアリズムの傾向をもっているが、廃名の作品は、現実と無関係とはいえないまでも、現実の生活にたいする正面からの提示と深い描写を欠いており、人物、プロットには理想的な要素が突出している。濃厚なロマン主義の色彩を帯びている、というほうが適当である。

 ここで「莫須有先生傳」「莫須有先生坐飛機以後」の二作品について語る必要がある。というのは、これらは前の二種類の作品群ともずいぶん異なっているからである。作者はそのなかで、一種の「理趣」を追求し、隠士的な雰囲気を確かに有しているからだ。しかし「莫須有先生傳」のなかの莫須有先生は、参禅悟道を常に口にし、スパイや偵察隊の横行には胸を痛めている一方で、農民(とくに村の女)に自分の理想とする古来の純朴な庶民性を求め、また一方で、彼らの不幸を悲しみ嘆かないわけにはいかないのである。莫須有先生は本来都会の喧騒を避けて、西山のふもとのあの小さな村にやってきたのであったが、結局陶淵明のあの「悠然として南山を見」、「その天命を楽しむ」という超越した境地に到達することはできなかった。これは廃名思想における「叛徒」と「隠士」の合一であると言う人がいる。私の考えでは、これは作者の思想における「叛徒」精神と「隠士」的態度との矛盾がますます確かなものとなったことを反映しているのだ。

 「莫須有先生坐飛機以後」は、作者が抗日戦争期の数年間の苦難を経た後に書き上げたもので、もはや「莫須有先生傳」のように、ユーモアを入れて軽妙で寓意に満ちた作品にすることはできなかった。「参禅」「悟道」を求めつつも、日本の侵略者の暴行や反動的官吏の腐敗醜態と人民の苦難を目の前にしては、無視することができず、「新四軍は庶民となかよく」という語句まで書き込んで、作品と現実の距離が大幅に縮まり、リアリズムの成分が大きく増加した。

廃名作品の最も際立った特色は、恬淡、朴訥である。これらの作品は凡人の平凡な出来事を描き、緊迫した激しいプロットも、風雲児的英雄も、悪逆無道の悪人も、奔放ほとばしる熱情も、高貴華麗な言葉も登場しない。これらの作品を読んでいると、あたかも淡々と描かれた水墨画や静かな田園詩、味わい深い抒情曲を一つ一つ鑑賞しているかのような気がする。人物、物語、言語、色彩のどれをとっても淡く描かれている。作品の内容と芸術手法とはバランスがとれていて、それらはまた作者の思想、芸術的趣味の高さと統一がとれてもおり、独特の風格を形成しているのである。

 廃名は自分で、唐の人が五言や七言の絶句を書く方法で小説を書くのであって、「言葉を浪費したくない」(『廃名小説選・序』)のだと言っているが、ここから簡便精錬の特徴が形成されたのである。廃名はわずかな言葉で、詩や絵のような境地を描き出し、それを読むものに忘れがたい印象を与えることができた。さらに自然の風景を用いて、人物の思想や感情を際立たせるのが得意で、また人物の感情の変化を自然の風景に反映させることも好んだ。静の中に動があり、動の中に静を求め、風景に情をこめ、情景相交わる芸術的効果に到達したのである。

 廃名作品の言語はまた素朴で自然である。それらはきわめて平淡としており、日常語のようであるが、含蓄があり、一見平凡な言葉の中に深い意味がこめられているので、じっくりと仔細に咀嚼してみて、はじめて会得できるのである。作者の言語をあやつる優れた力を見て取ることができる。工夫が凝らしてあるのに、その加工の跡形を残していないのである。

 廃名作品にはもう一つ特徴がある。晦渋ということである。それは「莫須有先生傳」でよりはっきりしてくる。小説が連載されているとき、人々はそれを難解であると言った。作家本人は何も弁明することなく、ただ、「しかし、難解であることがまさに作品の妙なるところなのだ。読者は細心の注意をはらって楽しみながら追求してはどうか。その結果一旦得るところがあれば、人生は必ずや楽しいものになるだろう」とだけ述べている。実際には作品の晦渋は、主に作者が表現しようとしている思想の晦渋さなのだ。1925年最初の短篇小説集『竹林的故事』を出版したとき、「巻頭語」として最前面に印刷されていたのは、ボードレールの散文詩「窓」であった。その意図は深いものがあると言えよう。「窓」にある「我らが太陽の下で目にできるすべては、あの窓ガラスの向こうに見える楽しさにはるかに及ばない」ということばは、廃名の美学的観点と芸術的趣味に合致している。彼の作品は、作者の思想を直接的に表さず、生活に対しても写実的な描き方をしないので、これらの作品は読んだとき朦朧とした印象で、わかりにくい感じをあたえる。この特徴は作者の文芸的趣味および思想状態と一致している。

 晦渋を形成するもう一つの原因は、作者が一種の古えの素朴な情趣や詩の含蓄のような意境を追求することである。廃名はよく行文中に、てがるに古詩文中の文句を引用し、作品に挿入する。その結果、作品中の文と文が、古詩詞の文と文のように、大きく「跳」び、「空」が長いので、読者は想像を働かせて、連想でそれを補わなければならない。そうなるとすらすら読むことができない結果をまねくことになる。

廃名の小説は、一般に緊迫した起伏あるプロットや人を夢中にさせるストーリーをもっていない。作者は、一人二人の主人公という典型的形象を形作ることに力を注がず、素材の取捨選択を通じて緊密な構造をつくることにも注意を払わない。長篇小説の各章や節の間には緊密な連関が無く、それぞれ独立した短篇として読むことができるし、散文として読むこともできる。五四以来の小説の散文化で、廃名の作品は代表性をもっている、という人がいるが、その通りである。

 廃名の作品は鮮明な民族的特徴を備えている。思想の面で言えば、老荘哲学、六朝文士の放縦な気質、陶淵明、王維の隠士的作風、さらに現代知識人の正義感と軟弱性などが作品の濃厚な民族的情緒を形作っている。芸術形式の面で言えば、それら作品は、中国の古典散文、詩詞、小説の豊かな養分を吸収し、鮮明な民族風格を形成している。しかし廃名は国粋派ではなく、外国文学に夢中になっていた。彼はシェークスピア、エリオット、ハーディを自らの師とみなし、『ドンキホーテ』を読むのが好きだった。廃名の作品には外国作家の作品の影響を容易にみつけることができる。しかもこれらの影響はすでに民族的文学伝統と融合して一つになっているのである。

 廃名作品の独特の風格は、当時の文壇において注目を集め、劉西渭、沈従文、孟実などが評論を書いて、彼がもたらした影響を指摘している。しかし中華人民共和国建国以後は、廃名に対する研究が不十分であった。「五四」以来の文学創作の歴史的経験を総括し、今日の社会主義文芸事業の発展に利するには、現代文学の研究領域において廃名に対してしかるべき重視をもってする必要がある。

 李葆琰同志が編集し四川文藝出版社から出版されたこの『廃名選集』は、廃名の大部分の小説を収めており、「莫須有先生坐飛機以後」がまとまった形で出版されるのは今回が初めてである。ゆえに、これは目下のところ最も充実した選集本であると言える。この本の出版が、廃名を研究するにも、中国現代文学を研究するにも、有益であり有意義であることは疑いのないことである。

 李葆琰氏と私は、いずれも廃名先生の学生であった。我々が吉林大学で学んでいたとき、先生は魯迅と美学というタイトルの授業をされた。それから既に20数年になるが、先生の声や笑顔は今でもありありと眼前にあるかのようだ。先生の様々な問題に対する独特の見解もずっと記憶にとどまっている。先生が亡くなられて16年が過ぎた今日、系統的に先生の著作を読むと、先生に対する崇敬の念と懐かしい感情がますます強くなる。ここに先生の学生の手によって、この選集が編まれ、そしてその冒頭にもう一人の学生の短文を付けたのは、先生への記念ということなのである。

(马良春『废名选集·一位具有独特风格的作家(代序)』1983.8.7)

作品集・単行本

『莫須有先生傳』開明書店 1932.12/大洋8角 (上海書店影印 1990.9/3.10元)
『冯文炳选集』 人民文学出版社 1985.3/3.15元
『废名选集』 四川文艺出版社 1988.7/7.30元
『莫須有先生傳』廣西師範大学出版社 2003.1

   
参考書・研究書

『梦的真实与美――废名』 郭济访/著 花山文艺出版社 1992.7/9.00元

作成:青野繁治

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