馮沅君

FéngYuánjūn
馮沅君
ふう・げんくん

 (1902—1974)

馮沅君小伝:

筆名は淦女士。女性。河南省南陽市唐河県出身。1925年北京大学大学院卒業。かつて金陵大学、北京大学、复旦大学で教員。1932年にフランス留学し、パリ大学にて文学博士の学位を得る。 帰国後、天津女子师范、武汉大学、中山大学、东北大学で教員を、山东大学で教授、副校長、山东市婦連副主席、山东省文連副主席を歴任する。全国人民代表大会代表。1925年から作品を発表し始める。 1952年中国作家協会に加入する。

(『中国作家大辞典』中国文出版社1999.12

文壇の才女―――馮沅君

本名は恭兰、淑兰,筆名は淦女士、沅君など。河南省唐河県の人。近現代の中国において最も業績を残し最も影響を与えた女流作家であり、教育家であり、文学史家である。1919年、北京女子高等师范学校に入学する。1922年、北京大学大学院国学科に進み、中国古典文学の研究に励む。1922年に『隔绝』、『隔绝之后』、『慈母』、『旅行』などの小説を創作し、のちに短編小説集『卷箷』におさめる。鲁迅いわく、”『卷箷』それは‘芯を抜いても死なない’草の名である。1923年から北京に身を置き、“淦女士”というペンネームで、上海で創作した刊行物の作品を発表した。”とのこと。鲁迅は書名を解釈すると同時に、この小説集のいくつかの小説は“芯を抜いても死なない”生命力の抗争という主題を備え持っているとはっきり指摘した。1922年から1929年まで、7年続けて、冯沅君は後世に三つの短編小説集を残した——『卷箷』、『春痕』、『劫灰』。 彼女の作品は当時の女性が古い礼儀や道徳に縛られた愛情心理から抜け出す様子を大胆に書き出し、五四運動前後に、新しい女性として封建的な礼儀や道徳への憤激や反抗、個性解放の新しい文化に目覚めた。冯沅君 は冰心、庐隐、凌叔华などと名声を等しくする五四運動以後の第一世代の新文学女性作家である。鲁迅は冯沅君の”大胆で、思い切った言葉”が風格を作り出している、と肯定と賞賛を与えた。

(『鲁迅全集』第6巻・『中国新文学大系』小说二集序)

小説集

『卷葹』上海北新书局 1927
『劫灰』上海北新书局 1929
『春痕』上海北新书局 1929

専門書

『中国诗史』(合作)  上海大江书铺 1931
『中国文学史简编』(合作)上海大江书铺 1932
『古优解』商务印书馆 1944
『古剧说汇』商务印书馆 1947
『冯沅君古典文学论文集』山东人民出版社 1974
『冯沅君创作译文集』山东人民出版社 1983

『卷葹』

 
作成:菅原 真央

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