Gě Cuìlín
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(1930- ) |
葛翠琳自伝:私は1930年2月25日に河北の楽亭で生まれた。北平燕京大学社会学部の卒業である。 1949年から作品を発表し始めた。1950年から1954年にかけて北京市文学芸術工作者聯合会で老舎の秘書を務めた。 1954年から1957年にかけて、北京市文聯で専業創作に従事し、児童文学組組長に着任して、児童文学創作の研究を組織し繰り広げる活動の責任者となった。創作面では、老作家冰心の直接の指導と教育を受けることができて、大部分の精力を少年・児童読者層の為に本を書くのに費やした。三冊の童話集を出版しているが、新聞・雑誌にも詩歌、散文、劇本などの作品を発表した。 1957年右派に区分されて、農村労働に行かされた。 1979年汚名が雪がれ、元の職場北京作家協会に戻って専業創作に従事。中国作家協会児童文学委員会委員も務めた。新中国建国三十年『童話寓言選』主編。現在は北京作家協会理事、児童文学委員会副主任、『童話』叢刊顧問、『未来』文学叢刊編集委員を務める。中国作家協会会員、中国戯劇家協会会員、中国児童戯劇研究会理事、全国婦女聯合会執行委員。1982年日本訪問。1985年タイ訪問。 創作談――子供たちの情操を豊かにするために三十数年来、児童文学の創作と評論に力を注いできて、近年は童話がいかにして現実を反映するか、いかにして時代精神を備えるようになるか、という問題の実践に懸命になってきた。思うに、童話は実生活に根ざしているが、実生活よりもより美しく、より理想化されている。幻想は現実にもとづいているので、幻想を通して人類のすばらしき願いや信念を表現するのである。童話の表現できる内容は幅が広く、大自然のすべて、活きている物であろうが、生命のないものであろうが、すべて童話の人物によって表現できるのである。 風雪、雷電、虫、魚、鳥、獣、日、月、星、雲、花、草、樹木のすべてに人間の思想や感情を持たせることができるし、それら自身の特徴に照らし合わせて、人間社会の様々な矛盾や現象を反映させ、童話の人物や物語として構成することができるのである。作者自身の立場、観点、見解、体感、願望は、自然界の物を通して、具体的なイメージとして、遠回しに表現される。童話中の人物がどんなに誇張されていたとしても、また物語の展開がいかに現実離れしていても、それが現実の反映であることに、変わりはない。 生活から出発せず、現実という基礎から離れてしまうと、幻想は容易に単なる主観的想像にのみ依拠した空想や憶測になってしまう。概念から出発した図解式の人物は、童話の世界を破壊するばかりか、生活の真実性にももとる。表面的には荒唐無稽に見え、現実生活では絶対に起こらないような出来事、存在し得ない人物を描き、ストーリーも現実離れしているような童話でも、生活の本質的真実が反映されたものであれば、人物に極度の誇張があったとしても、信じられる。しかもそれは強烈な影響力と説得力をもっている。 ゆえに童話創作は作者がさまざまな錯綜した現象のなかから、物事の本質を掘り出し、その上で豊かな幻想と誇張を通して、典型的形象を想像することによって、子供たちをいっぱいの子供らしい感情で引きつけ、その色に染めるように要求するのである。 (『中国当代作家百人傳』求実出版社1989) |
作品集・単行本『野葡萄』童話集 人民文学出版社 1980 |
主な作品「任性的小白母鶏」劇本 『劇本月刊』1980.6 |
受賞作品「野葡萄」第二回全国少年児童文学創作奨 1980 |
作成:青野繁治 |