Huáng Chūnmíng
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(1939- ) |
黄春明小伝:1939年2月13日、台湾で生まれる。8才で母を失くした後、羅東国民小学校、羅東初級中学校へ進むが、継母の虐待に耐えかね、単身台北へ向かう。彼は詩や絵画にも興味を示し、それは彼の生涯の趣味となった。しかし、ある日偶然手にして読んだ魯迅の『阿Q正伝』の影響を受け、小説を書き始め、1956年に春舟令 のペンネームで書いた『清道夫的孩子』、『小巴哈』を初めとし、数多くの作品を残す。1962年春から1年間 陸軍通信兵に服役し、同年3月に邱文棋のペンネームで『城仔落車』を発表する。この時期の彼の作品は若者の世 界というものを描いており、当時の流行や現代主義思潮の影響が見られる。その後彼は宜蘭放送局の編集者 を務めラジオ番組を作ったり、広告会社に勤め記録映画の新境地を開いたりと、幅広い活動を展開する。また、全 省を訪問して民謡の起源と移り変わりを調査し、その資料をもとに『郷土組曲』という作品を書いた。1967年 から1973年にかけては彼の創作意欲が最も旺盛な時で数々の作品が『文学季刊』に掲載され、彼自身も「『文 学季刊』は私の揺籃であった。」と述べている。この時期に彼が書いた作品のうち『青蕃公的故事』は「中国田園文 学の絶滅」と評価された。また、『莎ロ約娜ロ拉、再見』で彼は声誉を確立し、台湾「郷土文学」の新次元を開拓した。 成熟期の彼の作品は郷土文学において伝統的で典型的な人物をを描き、同郷の人に対する深い共感が現れている。 1978年から1982年までは愛迪達運動服飾公司の広告部に入るが、この頃、彼の作品は「社会性が強く、 芸術性に欠ける」との批評を受け、数年間執筆活動を停止する。しかし、馬奎斯の『百年孤独』を読み自分の小説を書く ことに対する信心をとりもどし、会社を辞めて、執筆活動に専念する。 黄春明は小説家であると同時に童話作家でもあり、『我們的動物園』などの作品を残している。彼の描く人物 は身分が低く心は優しいが、悲惨な運命を持ち合わせているのにもかかわらず冗談を言ったり、滑稽な行動をとっ たりと、現実味と子供の心を両方持っているという人が多い。また、彼の書く文章は時に感情的で簡潔さに欠ける ところもあるが、文体が口語的で、飾り気がないという特徴を持つ。黄春明曰く、「私は絶対に偽りのない人生と いうものを根底にした社会的文学に関心があるのだ。」ということである。 |
作品集・単行本『黄春明小説選』、 福建人民出版社、1984 – |
黄春明作品集聯合文學 2009.5,2010.5 1 看海的日子 |
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伝記『黄春明前傳』 |
邦訳『さよなら・再見』、田中宏, 福田桂二訳、めこん 、1979. |
作成:佐藤綾子 |