焦祖尭

Jiāo Zǔyáo
焦祖尭
しょう・そぎょう

(1935- )

焦祖尭自伝:

1935年、私は江蘇省武進県の農家に生まれた。
6歳のとき外祖父の家に送られて学校に通った。そのころ外祖母は既になくなっており、生活の重圧から外祖父の性格は暴力的になりひねくれていた。私はそこで5年間学校に通ったが、彼の顔に笑みが浮かぶのを見たことがなかった。口にするのは命令と叱責ばかり。私は幼年時代に楽しみがなかったのである。誰も一人の子供の心の声に耳を傾けてはくれなかった。それで私は作文が好きになった。作文のときだけ自分の言いたいことを書けるからだ。
中学校を卒業すると、家の情況に迫られて、工科に進む。専門に学んだのは、車のエンジンの製造である。1955年に卒業すると、高等教育部によって山西省大同に配属され、エンジンの工場で技術員となった。仕事のあいまに書く勉強をした。
1957年から刊行物に小説を発表し始める。
1961年秋に大同市文聯に転属、炭坑に入り、たくさんの炭坑夫たちと友人関係をもつ。炭坑夫の運命、苦しいけれども神聖な労働は私の心を動かした。私は彼等のために書くことを決意する。現在までの私の大部分の作品は炭坑の生活を描いたものである。私は二度にわたって長期間農村で生活をした。一度目は1958年、幹部は下放して農村で労働しようとの呼びかけがあり、私は社会生活を全面的に理解したいと思って、農村行きを願い出た。二度目は「文化大革命」期間、農村に挿隊し戸籍を移した。1970年から1971年にかけて、私は農村でまるまる2年を過ごした。どちらも雁北の辺鄙で貧しい農村であった。工場、炭坑、農村と私は広く普通の民衆と触れ合った。普通の人の運命に対する切なる思いが、私を執拗に彼等の意志や願望、感情、要求を表現する文学に駆り立てた。私は作家は人民の代弁者でなければならないと考えた。
「文化大革命」以前に、私は一定の数の短篇小説を書き、三冊の短篇小説集を出版した。そのうち炭坑の生活を描いた短篇小説「時間」は『収穫』に発表されると、すぐに「Chinese Literature」によって英語とフランス語に訳され国外に紹介された。「四人組」打倒後は、続けて2部の長篇小説と一定量の中短篇小説及び報告文学を書いた。
私は1959年に中国作家協会山西分会に加入し、1979年に中国作家協会に入った。現在、作家協会山西分会副主席で、主に作家協会分会の組織、創作及び行政的仕事に従事している。1985年末から1986年初めにかけて、中国作家代表団を率いてタイ国を訪問し、文学作品が異なる国家、民族の人々との間の理解と信頼に及ぼす巨大な影響を身をもって感じた。一人の誠実な作家は、単に自国の人民のためだけに創作するものではなく、同時に世界の人民のために創作するものなのだと。

人類の心を通い合わせる

私がリアリズムの創作方法を主張し、保持して行こうとするのは、文学の生命が真実性にあるからだ。ここで言うのはもちろん芸術上の真実のことである。文学は既に存在した生活を表現するばかりでなく、「このようでなければならない」生活を表現する必要がある。
外来文化を排斥するのは愚かなことである。その優秀な部分を手本にし吸収するのは、我々の民族文学をよりよく発展させるためなのだ。現代の生活は複雑で変化も激しい。我々はそれを多種類の芸術手法を用いて表現する必要がある。西洋の様々な文学流派と彼等の主張は、どれも研究する値打ちがある。彼等の芸術的表現手法は我々の手本とすることができる。
私は、文学の「根」は我が民族の歴史と現実の生活の間にしかない、と考える。文学は人民の意志と願望、感情と要求を表現しなければならない。文学が人民と疎遠になり、人民に冷淡になれば、人民も文学を疎遠にし冷淡に扱うだろう。社会の進歩と人類の幸福のために書くことが、全世界の作家の良識であり、崇高な使命なのである。疑う余地なく作家は人道主義者でなければならない。光明と暗黒、進歩と反動、真善美と偽悪醜の闘いのなかで、作家は常に身を挺して前列に立たねばならない。文学はもちろん作家の自我を描かねばならないが、この「自我」は社会的な自我であり、真空地帯にある純客観的な自我ではない。ゆえに結局文学は生活の反映なのである。生活を離れて文学の永遠を追求するなどは不可能であり、そんなものは存在しないのである。ゆえに私は「生活に深くはいる」という主張に賛成である。現代生活の開放性と科学技術の進歩によって、自然経済の上になりたっていた閉鎖性や半閉鎖的な社会生活は既に打破され、各方面の生活が互いに交錯浸透している。そこで局部的な具体的な生活を、より広い大きな背景のもとにおいて研究すること、生活の各方面の外在的内在的関係、現実と歴史の関係を研究することが必要になっている。つまり生活を相対的に把握してはじめて、歴史と哲学の高みに立って、作品の中で生活のこの上ない豊かさと複雑さを展開し、屋上から水瓶を傾けるごとく、生活の発展方向を指し示すことができるのである。
文学作品は人類の心を通い合わせる橋であり、異なる国や地域の人々の相互理解を促進することができる。中国の文学はいま世界に向って歩んでいる。その過程で当代の中国作家たちはみな自分の位置を探しているのである。

(『中国当代作家百人傳』求実出版社1989)

作品集・単行本

『総工程師和他的女児』長篇小説 人民文学出版社 1978
『光的追求』短篇小説集 江蘇人民出版社 1981
『跋渉者』長篇小説 人民文学出版社 1984
『復蘇集』短篇小説集 工人出版社 1985

主な作品

「召喚」短篇小説 『人民文学』1981.7
「心儿向着明天」報告文学 『当代』1982.5
「這里是湛藍的天」中篇小説 『鍾山』1983.6
「哦,イ尓小小的槐樹院」中篇小説 『作家』1984.1-2
「晨霧」短篇小説 『山西文学』1985.8
「荒谷三題」短篇小説 『人民文学』1985.9
「拉鏈皮包」短篇小説 『小説界』1986.2

邦訳

「ところてんの店で」小林栄/訳 『中国農村百景Ⅱ』銀河書房1983.2

 
作成:青野繁治

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