Lǎoshě
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(1899-1966) |
老舎小伝本名は舒慶春、字は舎予と言い、北京人で満族である。1899年2月3日、北京の貧民家庭に生まれる。父舒永寿は清代の宮城の護衛軍の一人で、毎月の給料は少なかった。老舎は末っ子で、姉が3人、兄が一人いた。 1900年8月、八箇国連合軍が北京に侵入した時父は戦死した。それから一家全員母親の馬氏を頼って衣類を縫ったり、洗ったり、小学校で雇い人になったりして生活を支えた。老舎は幼い時は憂うつげで、活発ではなかった。彼はかつてこう書いたことがある:性格は母親の影響を強く受けている。彼女は餓えようともおかまいなしで、同時に他人に対しては男気のある人だった。 7歳のとき私塾に入る。1907年北京西直門市立小学3年に編入。その後また南草廠小学に編入。1912年小学校卒業後市立第3中学に入る。半年後、家庭の貧困のため退学。1913年夏に試験に合格し、公費で食事と宿泊と教科書を提供してくれる北京師範学校に入る。在学中、校長の方還先生と国文教員の宗子先生の教えを受け、文語を用いて散文と詩を書き始めた。 1931年夏胡絜青と結婚。1934年夏から1936年夏まで青島山東大学にて中国文学の教授を勤める一方、執筆を続けた。この時期の短編小説には《上任》、《柳屯的》、《月牙》、《老字号》、《断魂槍》など多くは《桜海集》と《蛤藻集》に収められている。1936年夏、山東大学での教授を辞め、青島にて文学創作に専念した。同年の秋に長編小説《駱駝祥子》と《文博士》の連載を始めた。七七事変の勃発により、老舎はすでに始めていた二編の長編小説の執筆を中断せざるを得なくなった。8月青島から済南の斎魯大学に戻り教授を勤める。11月、日本軍が済南の前夕を占領し、抗日救国のため、老舎は家を出て武漢へ赴いた。彼の妻と子供たちは済南に残ることが難しく、故郷の北京へ戻った。1937年11月の老舎が武漢についた後、胡絜青と子供たちは済南に残ることが困難であったので、1938年夏胡絜青は3人の娘を連れて北京へ戻った。1937年11月老舎は武漢についた後、郭沫若、茅盾、陽翰笙、樓適夫、冫馬乃超などの作家とともに積極的に党の指導の下全国的な文芸会抗日民族統一戦線組織のために働いた。この期間に老舎は周恩来を知り、彼の愛護と協力を得た。1938年3月27日「中華全国文芸界抗敵協会」(略称「文協」)漢口にて成立し、老舎は第一次理事に選ばれる。第1回理事会にて、また常務理事に選ばれ、総務部主任と兼ねる。この職務で連続して当選し重任してからずっと抗戦は勝利を治めている。総務長の仕事について、老舎はこのように述べたことがある:「事実上対外の代表であり、理事長と変わらない。」武漢陥落の前夜、老舎は“文協”について重慶へと移った。彼は抗日戦争期間ずっと、積極的に党の抗日民族統一戦線を支持し、周恩来と党の配慮協力の下、文芸工作者を団結し組織することにおいて、文芸武器を用いて愛国抗日工作に参加し、積極的な貢献をなした。組織出版の“文協”の会報《抗戦文芸》にて多大な努力を費やした。1939年6月から12月まで 全国慰労総会北路慰問団について青海・新彊・陜西・甘粛・寧夏などの地区を訪れ、そこで初めて毛沢東ならびに朱徳と会見した。重慶に戻った後、老 1941年秋、西南国連総会の招待に応じて昆明などにおいて講演を行った。1942年夏、老舎の母は北京でこの世を去る。1943年冬、胡絜青は3人の子供をつれて北京を逃れ、重慶にやってくる1944年4月、“文協”は年度大会を行い、老舎創作20周年を記念して祝賀会を開いた。 抗日戦争の8年の中で、老舎は団結抗日を題材にして、積極的に文学創作に従事し、また各種の文化宣伝形式を利用して抗日を広く伝えた。この期間の著作には次のようなものがある。新劇《残霧》、《国家至上》(宋之との共同著作)、《張自忠》、《面子問題》、《誰先到了重慶》、など9部:長編小説《火葬》と《四世同堂》の第一部《惶惑》、第二部《生》:短編小説集《火車集》、《貧血集》:さらに、努めて各種民間文芸形式の作品を習作した。たとえば、《張忠定計》などがある。:京劇《忠烈図》、《王家鎮》など。1946年3月、アメリカ合衆国国務院の招待を受けて、老舎は曹 と一緒に1年間アメリカへ行き、学術講演を行った。期限満了後もアメリカに残り、引き続き文学創作に従事した。《四世同堂》の第三部《飢荒》および長編小説《鼓書芸人》を書き終え、また、翻訳者の手伝いをし、《離婚》、《四世同堂》第一部《惶惑》、《鼓書芸人》を英文に翻訳した。1949年10月、老舎は病気療養中、周恩来からの帰国状を受け、すぐにアメリカから日夜しのんでいた祖国に戻り、同年12月はじめに北京に着いた。 老舎は北京に戻った後、まず北京市曲芸の創作と改革作業に参加し、北京漫才進歩グループ、北京大衆文芸創作研究会、《説説唱唱》編集部において、曲芸工作者とともに新社会を褒め称えるため、時事政策を広く伝え、積極的に学び、働いた。新中国成立後の17年間で、老舎は多くの曲芸作品を創作した。たとえば、《別迷信》、《生産就業》などの”鼓詞”(民間の謡もので、七字句を主とする謡ものを総称して言う。)、《乱形容》などの20段あまりの漫才、曲芸の新形式である曲劇《柳樹井》など。曲芸集《過新年》は老舎の建国後最初に出版された詩文集である。 建国後、老舎は、創作に励む中で、高齢多病をものともせず、いつも末端機構に深く入り込みつづけ、生活を体験し、材料を捜し集め、模範となる先人を訪ねた。1953年、第3期赴朝慰問団に参加し、朝鮮へ行き、また自ら軍隊駐在地に半年留まり、後ほどすぐ、小説《無名高地有了名》を書いた。1963年秋から1964年春まで、やはり北京郊外の密云、香山などに入り込み、農村人民公社の生活を体験した。17年間のうちで大量の散文、雑文、詩歌を書き、《福星集》、《和工人同志們談写作》、《小花雑集》、《出口成章》などの詩文集に収めた。これらの作品は国民のいろいろな時期の闘争生活を反映し、かつ、言葉は生き生きとし、独自の風格をそなえ、広大な人民群衆に好まれ、国内外において名声は高かった。1951年12月、北京市人民政府は老舎に”人民芸術家”の栄誉ある称号を与えた。 老舎は建国後、政務院文教委員会委員、全国人民代表大会代表、全国政治協商会議常務委員会委員、北京市人民政府委員、中国文聯副主席、中国作家協会副主席ならびに書記処書記、中国民間文芸研究会副主席、中国劇協理事、中国曲協理事、北京市文聯主席、中朝友協副会長などの職に就いた。老舎は17年間において、積極的に文芸指導活動や各種の社会活動に参加し、党の指導のもと、作家や画家や芸人を団結させ、およびに国際文化活動方面においても、有益な貢献をした。前後して、朝鮮、ソ連、インド、チェコ、日本などの国を訪問した。 1966年に”文化大革命”が始まって以後、彼は自発的に運動に参加したが、売国奴林彪と裏切り者江青がでっちあげた”文芸黒線専政”論により、多大な文芸関係者はむごたらしいめにあわされ、老舎は心身ともにひどく虐げられ、8月24日不幸にしてこの世を去った。享年67歳であった。 1978年6月30日、華国鋒の認可を通して、中共中央統戦部、国務院文化部、北京市革委会、中国文学芸術工作者連合体、中国作家協会連合主催により、北京八宝山革命共同墓地において、老舎の遺骨安置儀式を厳粛に行った。1977年10月から絶え間なく印刷物に老舎の遺作が載せられた。詩《昔年》と《今日》、一幕物の劇《火車上的威風》(短編《小説馬袴先生》の改編)、自伝体長編小説《正紅旗下》などがあった。 (『老舎略伝』舒済著にもとづく) |
作品集・単行本『趙子曰』 上海商務印書館 1928 |
『四世同堂 第一部 煌惑』四川人民出版社 1979.12 『四世同堂 第二部 偸生』四川人民出版社 1980.1 『四世同堂 第三部 飢荒』四川人民出版社 1979.10 |
『月牙集』 河北人民出版社 1981.3 『離婚』人民文学出版社 1981.9『微神集』河北人民出版社 1981.10 『老舎論創作』 上海文芸出版社 1982 『老舎劇作全集』 王行之[他]編 中国戯劇出版社 1982 『老舎劇作全集』 王行之[他]編 中国戯劇出版社 1982 『老舎劇作全集』 王行之[他]編 中国戯劇出版社 1982 『老舎小説集外集』 北京出版社 1982 『文学回憶録』 巴金著 四川人民出版社 1983 『老舎新詩選』花山文藝出版社 1983.8 『出口成章,論文学語言及其他』 人民文学出版社 1984 『老舎短篇小説欣賞』廣西教育出版社 1987.3 『正紅旗下 小人物自述』人民文学出版社 1987.5 『幽黙小説』中国現代名作家名著珍蔵本 上海文藝出版社 1992.5 |
『老舎』 舒済編 三聯書店香港有限公司 1988 『老舎小説全集』 舒済, 舒乙編 長江文芸出版社 1993 『老舎自伝』 江蘇文芸出版社 1995.9 『八大爺』京味文学叢書 北京燕山出版社 1997.8 『老舎全集』1-19 人民文学出版社 1999 『傾聴老舎』吾人/選編 CD付 中国廣播電視出版社 2002.6 |
『老舎小説集』 南華書店 『趕集』 良友圖書公司 『駝鴕祥子』 南華書店 『牛天賜傳』 南華書店 『老舎文集』 人民文学出版社 1980 『老舎文集』 人民文学出版社 1981 『老舎文集』 人民文学出版社 1982 『老舎文集』 人民文学出版社 1983 『老舎文集』 人民文学出版社 1983 『老舎文集』 人民文学出版社 1984 『老舎文集』 人民文学出版社 1984 『老舎文集』 人民文学出版社 1985 『老舎文集』 人民文学出版社 1986 『老舎文集』 人民文学出版社 1986 『老舎文集』 人民文学出版社 1987 『老舎文集』 人民文学出版社 1987 『老舎文集』 人民文学出版社 1988 『老舎文集』 人民文学出版社 1989 『老張哲學選集』 基本書局出版社 『龍鬚溝,電影剪輯』 『茶館,話劇』 『駱駝祥子』中国語情報サ-ビス 『四世同堂』中国語情報サ-ビス |
研究書・参考書『駱駝祥子』梅阡・改編 中国戯劇出版社 1958.6 |
『老舎年譜』郝長海・呉懐斌/編 黄山書社 1988.9 『孟廣來論著集――老舎研究』孟丹・著 文化藝術出版社 1991.6 『老舎與朋友們』舒済/編 生活・読書・新知三聯書店 1991.10 |
『老舎之死』蘇叔陽・著 小説 華藝出版社 1992.5 『老舎的藝術世界』孫鈞政/著 北京十月文藝出版社 1992.5 『老舎資料考釋』(上・下)中国国際廣播出版社 1998.7 『我的思念――関於老舎先生』舒乙/著 中国廣播電視出版社 1999.2 『老舎與二十世紀 ’99国際老舎学術研討会論文選』天津人民出版社 2000.1 |
『老舎文学詞典』舒済/主編 北京十月文藝出版社 2000.2 『簡明老舎詞典』史承鈞/主編 甘粛教育出版社 2000.4 『老舎著譯編目』張桂興/編著 中国国際廣播出版社 2000.9 『老舎與第二故郷』張桂興/編著 青島海洋大学出版社 2000.9 『老舎 消失的太平湖』李輝/著 大家出版社 2000.9 『百年老舎』中国文聯出版社 2001.3 |
『太平湖的記憶――老舎之死』鄭實、傅光明/編著 海天出版社 2001.7 『老舎年譜』(上・下)上海文藝出版社 2005.5第2版 『老舎之死 口述実録 一』香港三聯書店 傅光明、鄭實/編著 2012.3 『老舎的文学語言風格與発展』崔燕/著 復旦大学出版社 2015.3 |
邦訳作品集・単行本『四世同堂』 實藤惠秀[ほか]譯 月曜書房 1951 |
邦訳関連書『北京の父老舎』舒乙/著 中島晋/訳 作品社 1988.7 |
関連図書『戯曲 駱駝祥子』老舎/原作、梅阡/脚本 大山潔/訳 東方書店 2015.3 |
研究書『日中戦期老舎と文藝界統一戦線 大後方の政治の渦の中の非政治』杉本達夫/著 東方書店 2004.12.15 |
作成:竹内果苗・草川武司 |