劉賓雁

Liú Bīnyàn
劉賓雁
りゅう・ひんがん

(1925.2.17-2005.12.5)

 
劉賓雁小伝:

長春生まれ、ハルピンで育つ。1942年に中学校を卒業し、1943年から抗日救亡活動に身を投じ、中国共産党の地下工作に参加、1944年に中国共産党に加入した。1945年天津耀華中学の教員となる。1946年から1950年まで青年組織活動に従事。1951年から1957年まで『中国青年報』記者を務め、文学作品を発表、中国作家協会会員となる。

1956年4月、『人民文学』に「橋梁工事現場にて」を発表。6月および9月に「本報内部ニュース」を発表、中共の官僚主義体制と報道の自由を抑圧する検閲制度を批判し、全国の注目を浴びた。1957年5月13日、『中国青年報』に「上海は深く考えている」を発表し、上海市委員会が言論の自由を抑圧していると批判、大きな影響を与えた。そのため毛沢東に「混乱を作り出そうと企図している」と叱責され、右派のレッテルを貼られた。1957年7月19日、『中国青年報』は劉賓雁を批判する座談会を開催、劉賓雁は1958年から1962年まで、農村での労働改造に送られた。1963年から1966年までは、『中国青年報』に戻され、雑役をやらされた。1966年3月「右派」のレッテルははがされたが、今度は「反党」とされ、再び農村へ労働改造に送られ、1977年まですごした。

1978年から1979年まで、北京に戻り、中国社会科学院の『哲学訳文』誌の編集員となる。1979年、名誉回復され、9月に「人妖の間」を発表、中国建国以来最大の地方官吏による汚職事件を暴露し、民間に大きな反響を巻き起こした。1979年から1987年まで、『人民日報』高級記者を担当し、『第二種の忠誠』のような社会問題を暴露する報道や報告文学を発表した。1985年、中国作家協会第四回大会で、副主席に選ばれる。劉賓雁の作品は1980年代の中国で大きな影響力を持ち、「中国の良心」という称号が送られた。

1987年「ブルジョア自由化に反対する運動」のなかで、「四つの基本原則」に反対したという理由で、再び党籍をはく奪され、公職を追われた。鄧小平は「明確にブルジョア自由化に反対する」のなかで、劉賓雁に言及し、「明らかに社会主義に反対し、共産党に反対する者たちを今回処分することで、波風が立つだろうが、そんなことも恐れてはいけない。方励之、劉賓雁、王若望に対する処分は断固として行うべきで、彼らの狂った妄想は、極限に達し、共産党を変革することまで考えた。彼らに共産党員たる資格があるだろうか」と述べた。

198年春、劉賓雁はアメリカで教壇に立った。1989年以降、劉賓雁は中国人民解放軍が武力鎮圧を行った六四事件に公然と反対し、中国作家協会を除名され、中国政府によって、中国への帰国を禁止された。

2005年2月末、劉賓雁の80歳の誕生日を祝って、内外の作家たちが合同で散文集「不死の流亡者」を出版し、劉賓雁は自らサイン会に出席した。また在米彫刻家の譚寧が劉賓雁の半身像を製作し、2005年2月23日にプリンストン大学で除幕式を行った。劉亦有が会場に赴きセレモニーの主催をした。

劉賓雁は2002年から直腸ガンを患っており、その後肺や肝臓にも転移したため、2005年12月5日、現地時間零時25分頃、直腸ガンのため、米国ニュージャージー州プリンストン、ニューブランズウィックのロバート・ウッド・ジョンソン病院で死去。享年80歳。告別式は12月10日、プリンストンの凱恩博葬儀館で行われた。劉賓雁の遺言は、「自由も民主も中国のすべての問題を解決できるわけではない」というものであった。

2010年12月23日、劉賓雁の遺骨は中国大陸に戻され、北京市の天山陵園に葬られた。

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作品集・単行本・参考文献

『中国新写実主義文藝評論選――劉賓雁及其作品』波文書局 1980.8
『劉賓雁報告文学選』四川人民出版社 1980.8/0.91元
『劉賓雁報告文学選』北京出版社 北京文学創作叢書 1981.2/0.82元
『論文学與生活』人民文学出版社 1985.12/2.45元
『告訴イ尓一個秘密』作家出版社 1986.8/1.90元
『我的日記』湖南人民出版社 駱駝叢書 1986.9/1.00元

『内部批判材料/方励之・劉賓雁・王若望言論摘編』曙光図書 1988.2/HK$32.00
『劉賓雁自選集』中国文聯出版公司 1988.9/3.95元
 邦訳単行本

『中国告発小説集/天雲山伝奇』田畑佐和子・田畑光永/訳 亜紀書房 1981.10.20/\1200
「人妖の間《を収録
『中国の幻想と現実』陳逸雄/訳 学生社 1990.2.15/\1400(本体\1359)
『第二種の忠誠』陳逸雄/訳 学生社 1991.8.5/\1600(本体\1553)
『劉賓雁自伝』鈴木博/訳 みすず書房 1991.8

邦訳作品

「現代の妖怪たち」(人妖之間)守屋宏/訳 『東亜』154-155 1980.4-5
「人は目的、人は中心」(人是目的、人是中心)太田秀夫/訳 『鹿児島短大研究紀要30』1982.11
「警告」中上健次/訳 『文芸』1983.8
「第二種の忠誠」下川辺容子/訳 『中国研究』1986.4
「嫩江収容所での殺人」(第二種忠誠/抄訳)白水紀子/訳 『火種』凱風社 1989.10
「本紙内部情報」(本報内部消息)湯山土美子/訳 『ユリイカ』1989.10

作成:青野繁治

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