呂赫若

Lǚ Hèruò
呂赫若
ろ・かくじゃく

 (1914-1951)

 呂赫若小伝:

 本名呂石堆。1914年豐原潭子に生まれる。1934年台中師範学校卒業。処女作『牛車』は中国の作家胡風によって中国語に訳され中国で紹介された。これは、日本占領時代の台湾小説が初めて中国に紹介されたものである。1939年東京にて声楽を学び、劇団に参加し劇にも出演した。1942年台湾に戻って「臺灣文學」に加入。「興南新聞」の記者に就任。翌年、友人とともに「厚生演劇研究会」を結成する。また、「財子壽」により第2回台湾文学賞を受賞。その翌年には、薹北清水書店から小説集『淸秋』を出版。これは、戦前の台湾作家が出版した唯一の小説集である。戦後、「人民導報」の記者となり、次々と中国語小説を発表した。1948年には陳文彬の影響により左翼思想に傾く。1950年から51年には「鹿窟武装基地事件」に関係したために、台北県石碇付近の鹿窟にて死す。享年わずか38歳だった。

(『台湾作家全集・短編小説巻/日據時代』前衛出版社 1991年)

著書

『台湾作家全集 短篇小説巻 日據時代 呂赫若集』張恒豪/主編 前衛出版社 1991.2

 作成:廣瀬文子

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