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解説:鴛鴦蝴蝶派 中華民国初期から五四運動時期にかけて活躍した通俗文学のグループ。才子佳人の恋愛物語が多かったので、魯迅から「佳人が才子に恋をして、別れ難い思いで、柳の影や花の下にいて、まるで一対の蝴蝶か鴛鴦のようだ」と評されたことから「鴛鴦蝴蝶派」と称せられるようになったという。上海で『小説叢報』(1914-1918)『小説新報』(1915-1922)などの雑誌を刊行し、小市民的趣味に迎合した、とされる。1914年から1923年にかけて発行した週刊『礼拝六』は影響力が強く、それによって「礼拝六派」とも呼ばれる。 鴛鴦蝴蝶派の人々 鴛鴦蝴蝶派は同一の思想のもとに厳密に組織された文学団体ではなく、文学的主張が共通する定期刊行物や新聞副刊およびタブロイド版の新聞を編集出版し、題材や風格がほぼ一致する作品を発表することを通して、自然発生的に形成された流派である。これに属する人には、徐枕亜、呉双熱、李涵秋、平江不肖生(向愷然)、包天笑、周痩鵑、程小青、范烟橋、張恨水、秦痩鴎、厳独鶴、徐卓呆、王鈍根、許指厳、徐天嘯、趙苕狂、貢少芹、姚民哀、張枕緑、平襟亜、程瞻廬、王西神(蘊章)、江紅蕉、畢倚虹、張舎我、胡寄塵、姚鵷雛、陳蝶仙、陳小蝶、呉倚縁、陸澹安、鄭逸梅、朱鴛雛らがいる。 青社と星社 鴛鴦蝴蝶派は20年代初め青社と星社という二つの団体を成立させた。1922年7月に、徐卓呆、胡寄塵、成舎我、張枕緑、厳芙遜らによって、上海で青社が発起成立した。参加者には、包天笑、周痩鵑、何海鳴、許廑文、江紅蕉、程小青、范烟橋、王西神、厳独鶴 、王鈍根、趙苕狂、程瞻廬、畢倚虹、李涵秋 など20人近くが集まった。張枕緑が文書幹事、厳芙遜が会計幹事、成舎我が庶務幹事を務めた。彼らは週刊『長青』を創刊し、5期出版したが、ほどなく解散した。1923年の中秋、蘇州の鴛鴦蝴蝶派作家グループは留園で星社を成立させた。成立時には、メンバーはわずかに趙眠雲、范烟橋、鄭逸梅 、顧明道、屠守拙、孫紀於、范君博、姚蘇鳳、程菊高の9人であったが、抗戦前夜には、100人前後に発展していた。抗戦勃発後、星社は解散した。週刊『星』を35期、3日刊『星報』を70期出版した。そのほかに小説や雑文の匯刊『星光』2冊、『小説家言』『星宿海』『羅星集』各一冊を発行している。 鴛鴦蝴蝶派の代表的小説作品 徐枕亜の『玉梨魂』は無錫のある郷紳の家の家庭教師何夢霞が、同家の若い寡婦白梨影に恋をする物語。呉双熱の『孽冤鏡』は、蘇州の宦官の子弟王可青と常熟の貧しい家の娘薛環娘の恋愛物語。李涵秋の『廣陵潮』は、揚州の雲、伍両家の人物を中心として、物語を展開し、旧民主革命時期のさまざまな人々の活動を描いたもの。張恨水の『啼笑因縁』は富貴な家庭に生まれた樊家樹と北京天京説大鼓の娘沈鳳喜の相愛物語。秦痩鵑『秋海棠』は、北洋軍閥時期の名旦呉玉琴(芸名秋海棠)と軍閥の夫人羅湘綺の悲恋物語である。概して、鴛鴦蝴蝶派は趣味を重んじ、作品の基本傾向としては、時代精神から離脱しているとされる。しかし一部の作品は、愛憎の区別をはっきりして、現実を反映し、市民階層において、比較的大きな影響力をもったと考えられている。 鴛鴦蝴蝶派の傾向 鴛鴦蝴蝶派の代表的刊行物『礼拝六』第一期「出版贅言」は、仕事が終わって休んでいるとき、「売笑は金銭をついやし、売酔は衛生のさまたげとなる。曲を顧みるは、喧囂に苦しむ。小説を読むの省倹にして安楽なるに若かざるなり」と述べた。『眉語』の第一巻第一号「宣言」では、発刊の趣旨としてはっきりと、「雅人韻士花前月下之良伴」に供するためであるとしており、『小説大観』は、「文言俗語を論ずるなく、興味をもって主となす」と宣言している。周痩鵑は「『快活』への祝辞」で、「この不愉快だらけの世の中で、快活の主人が、快活雑誌を作り出したことに、我々は感謝しなければならない。それはみんなを愉快にし、いろいろな不愉快な出来事を忘れさせてくれるからだ」と述べた。周痩鵑、趙苕狂主編の『遊戯世界』は、広告の中で、「『遊戯世界』は諸君が苦悶を吐き出し、愁いを消す、ばら色の道である」と述べている。これらのことから、この流派は、文学の目的が、お茶や食事を済ませた後のひまとうさを晴らす目的に供するものだと見なしている。しかし事実上は、鴛鴦蝴蝶派にもリアリズムの傾向をもった少数の作家がいたのである。 鴛鴦蝴蝶派の刊行物 鴛鴦蝴蝶派の刊行物は極めて多い。下の表に代表的なものをあげるが、それ以外にも、「小説季報」「中華小説界 」「民権素」「眉語」「小説海」「婦女雑誌」「小説大観」「小説画報」、二十年代の「新声」「武侠世界」「偵探世界」「紫葡萄画報」「半月」「遊戯世界」「星期 」「心声」「紫蘭花片」「小説世界」「笑画」「社会之花」「説部精英」「長青」「星」「星報」、三十年代の「紅葉」「珊瑚」「金剛鑽月刊」「上海生活」「橄欖」、四十年代の「小説月報」「楽観」「万象」「自修」「大衆」「紫羅蘭」「春秋」「新上海」「茶話」「少女」などがある。
また鴛鴦蝴蝶派の作家は、大新聞の副刊も編集している。例えば、王鈍根は『申報』副刊「自由談」を1911年8月24日の創刊時より担当し、1932年12月1日に黎烈文に交代するまで続けた。周痩鵑は『申報』副刊「春秋」を編集したことがある。厳独鶴は『新聞報』の副刊「快活林」(後に「新園林」と改名)、『新聞夜報』の副刊「夜声」を編集した。 厳諤声は『新聞報』の副刊「本報副刊」を、包天笑は『時報』副刊「余興」、「滑稽余談」(畢倚虹と共編)、畢倚虹と劉襄亭が『時報』副刊「小時報」、「圖畫時報」を、戴天仇、呉双熱らが「民権報副刊」を編集した、などである。 (『中国現代文学社団流派辞典』上海書店1993.6) |
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参考書・資料(中文)『鴛鴦蝴蝶派研究資料』魏紹昌/編 生活読書新知三聯書店 1980.1/30港元 |
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作成:青野繁治 |