凌叔華

Líng Shūhuá
凌叔華
りょう・しゅくか

(1900~1990)

凌叔華小伝

 本名凌瑞裳、筆名素心、叔華、瑞唐など、英語名SuHua。原籍広東省番禺県。1900年3月25日北京のある士宦の家に生まれる。幼年時には前後して著名な画家繆素筠、王竹林、郝漱玉から絵を学び、辜鴻銘から英語を学んだ。子供のころから濃厚な文学芸術的環境のなかで育った。
 1922年燕京大学外語系に入学、英語、フランス語を専攻、副専攻として日本語を学ぶ。燕京大学文学会に加入し、創作を開始。1924年『晨報』副刊および増刊に、前後して「女兒身世太凄涼」、「資本家之聖誕」、「我那件事対不起他」などの小説と「朝霧中的哈大門大街」などの散文を発表した。これらの作品は言語表現技巧がやや稚拙で、反響は大きくなかった。
 1925年1月、凌叔華は『現代評論』週刊に短編小説「酒後」を発表し、女性心理の細緻と大胆さで一躍有名になった。その後、続けて『現代評論』に少なからぬ作品を発表し、魯迅から『現代評論』から生まれた作家と評された。
 20年代中期から30年代中期にかけて、凌叔華は『現代評論』、『新月』、『晨報副刊』、『小説月報』、『北斗』、『文学雑誌』、『文季月刊』、『武漢日報』副刊「現代文芸」などの刊行物に数十編の短編小説を発表した。これらの作品は、多くは小説集『花之寺』、『女人』、『小孩』、『小哥兒倆』に収められている。そのうち「繍枕」などの小説は「適可而止的、旧家庭における従順な女性を描き、我々にこの世の有様の一角、高邁な一族の精魂を描いた」(魯迅)もので、筆法は細緻にして秀逸である。凌叔華はさらに幼年の感情や楽しみを描くのが得意で、「小哥兒倆」などの作品は児童の感情や生態をかわいらしく伝えている。
 凌叔華は『武漢日報』副刊「現代文藝」の編集にも携わった。抗戦期には、英語で自伝体の散文を書き、のちに英国で作品集として出版したのが、『古韻』(Ancient Melodies)である。
 1947年、凌叔華は夫の陳源(陳西瀅)とフランスに行き、のちにイギリスに定住した。1956年以後はシンガポール南洋大学、カナダトロント大学で中国近現代文学を教授した。1960年には自選集『凌叔華短編小説選』および散文・評論集『愛山廬夢影』を出版した。これらのほか、十二部の一幕劇も書いている。1968年以後は、ロンドン、オックスフォード、エディンバラなど各大学の招聘をうけ、中国近代文学および中国書画芸術の講座を開いている。長期にわたり海外に滞在し、凌叔華は個展と所蔵画展を幾度も開催し、大きな影響力をもった。1972年以後、数度にわたり観光のため帰国。1989年には正式に帰国し、1990年5月22日北京で死去。

(『中国現代文学百家 凌叔華』1997.1華夏出版社)

作品集・単行本

『中国現代文学百家 凌叔華』中国現代文学館編 華夏出版社 1997.1

 
参考書
 邦訳

「刺繍の枕」白水紀子訳(『中国現代文学珠玉選 小説1』二玄社 2000.3)
「慶事(おいわいごと)」芦田肇訳(『中国現代文学珠玉選 小説3 女性作家選集』二玄社 2001.3)

 
 作成:青野繁治

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