Dèng Tuò
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(1912.2.26~1966.5.18) |
略歴本名鄧子健、鄧雲特、筆名馬南邨、左海など。福建閩県(現福州)の人。中国共産党宣伝戦線の重要メンバーの一人。『人民日報』社長など党中央の主要宣伝機構の指導業務を担当した。後に、毛沢東政治部署の意を解せず、数度にわたって叱責をうけ、人民日報社を解雇される。文革前夜、政治的批判を浴び、自殺。 (WIKIWAND) |
鄧拓小伝 本名鄧子健、福建福州の人。1929年秋、上海光華大学入学。1930年6月、許滌新らと「社会科学家聯盟」に加入。同年冬、中国共産党に加入。それ以後不断に党の工作に従事しつつ、歴史学の論文を執筆。1937年6月、最初の歴史書『中国救荒史』を出版。 (沐定勝『中国現代作家大辞典』新世界出版社 1992) |
著書『論中国歴史的幾個問題』生活・読書・新知三聯書店 1959.11 |
共著書『長短録』存真印書館 1966.10 呉唅、廖沫沙、夏衍、孟超との共著 |
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邦訳『燕山夜話』毎日新聞社 1966.9 |
作成:青野繁治 |