陳衝

Chén Chōng
陳 衝
ちん・しょう

(1937- )

陳衝自伝:

私は、原籍遼寧省海城県、1937年天津市に生まれた。父は当時税関職員で、母は家庭婦人であった。5歳のとき私は小学校に通い始めた。1943年正義感と愛国心に富む父は、一家全員(母、私、5歳の妹、3歳の弟)を連れて、日本軍に占領された淪陥区を離れ、「大後方」に向って進発した。幾たびもの危険と困難を乗り越えて、一年後にようやく重慶にたどり着いたのである。抗戦勝利の翌年、一家全員(1945年に生まれた弟が一人増えていた)で天津に戻り、父はもとどおり税関の仕事をした。実際には既に中国共産党の工作をしていたのだが。1948年の冬、党の指令によって、父は解放真近の天津を離れ、上海に向った。合法的身分を利用して、地下工作に従事するためである。まもなく一家全員上海に移った。1949年5月、上海が解放された。私が初級中学一年生のときである。
1951年7月、初級中学を卒業した私は中国人民解放軍に参加した。まず軍学校で1年間学び、その後部隊で見習い会計を担当した。1954年10月に復員してからは、流動性の発電所で働き、1年半後にこの発電所の上級機関の局で局長秘書に抜擢された。この局は河北省保定市に設けられていた。1958年21歳のとき、「右派分子」に誤認されて下放労働をさせられたが、1979年に吊誉回復された。この期間の労働は、正式の職業吊で呼べば、据え付け工、栄養士、薬品倉庫会計、薬剤師、建築作業工、雑役夫、事務員、模型設計員、組立工、製図係、物資調達係などである。吊誉回復後は元の工作系統に戻り、労働組合幹事をやったが、1984年に正式に河北省文聯に配属されて創作に従事することとなった。
最初の未発表文学作品は、17歳のときに書いた2万字の小説である。先に発表したのは2編の詩で、1956年に『西安日報』に掲載された。その後、2年間に小説、散文をあわせて20数編の作品を発表したが、いずれも習作である。吊誉回復後に再びペンを執り、ほとんどゼロから出発した。42歳という年齢で、多くは2,30歳の初学者たちの列の中に身を置いた。格別の努力をして時間の遅れを取り戻すしかなかった。もはや補いようも追いかけようもないものもあるにはあったが。
私には良き妻がいる。1958年の元旦に、私が危機に直面していたとき結婚したのである。息子と娘にめぐまれ、前者は昨年大学を卒業した。後者は大学受験の準備をしている。

(『中国当代作家百人傳』求実出版社1989)

作品集・単行本

『無反饋快速跟踪』中・短篇小説集 福建人民出版社 1984
『陳衝短篇小説集』花山文藝出版社 1985
『会計今年四十七』中・短篇小説集 上海文藝出版社 1986

主要作品

「鉄馬冰河入夢来」長篇小説 『当代』1985.3
「粉紅色的車間」長篇小説 『長篇小説報』1986.1
「金三角最新消息」中篇小説 『小説家』1984.4
「傾家蕩産的遊戯」中篇小説 『作家』1985.1
「俗人」中篇小説 『中国作家』1985.3
「多維空間」中篇小説 『十月』1985増刊

受賞作品

小廠来了個大学生」1984年全国短篇小説奨

 作成:青野繁治

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