Dù Héng(Sū Wén)
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(1907~1964) |
杜衡小伝:本名戴克崇、杭州の人。之江大学で、戴望舒、施蟄存、葉秋原、張天翼らと同級生。施蟄存、戴望舒らと蘭社を結成、旬刊誌『蘭友』を17期発行。その後、施蟄存、戴望舒は之江大学を退学、上海大学に入学して、上海に移動、杜衡は5年制の南洋中学に入学したため、蘭社は解散。施蟄存、戴望舒らと『瓔珞』を創刊する。施蟄存は1932年、張静廬の招きで『現代』の編集長となるが、翌年、杜衡も『現代』の編集者として招かれ、「第三種人」論争を契機として、施蟄存とは疎遠となっていく。しかし杜衡が左翼陣営との関係を悪くしたのは、1934年5月から『現代』に連載した、『再亮些』という長編小説からで、革命を歪曲したとみなされ、左翼陣営の批判を受けた。杜衡がソビエト区から逃れてきた楊邨人と『星火』誌を創刊したことで、さらに評判を落とした。『漩渦裏外』は『現代』から離れたのちの長編小説である。40年代になって漢奸となったという噂が流れたが、事実無根であることが後に明らかになっている。 (頤園「百度知道」) ストリンドベリ、ワイルド、アナトール・フランス、ローレンス、ハーディなどの作品を翻訳出版した。 (中国現代作家大辞典 新世界出版社 1992 より) |
著書『石榴花』(短篇小説集)第一線書店 1928 |
作成:青野繁治 |