端木蕻良

Duānmùhōngliáng
端木蕻良
たんぼくこうりょう

(1912.8.15~ )

端木蕻良小伝

 本名曹京平。遼寧昌図に生まれる。1928年、天津南開中学に学ぶ。新人社を組織、『人間』『新人』などの文芸刊行物を出版し、「“力の文学”宣言」を発表。満州事変後、「抗日救国団」を結成したことにより、学校から除名される。1932年、北平左聯に加入、左聯の機関誌『科学新聞』を編集。同年清華大学歴史系に入学、『清華月刊』に最初の小説「母」を発表、これは長篇小説『科爾沁旗草原』の一部となる。1933年秋、北平左聯が壊滅させられたので、葉之林という筆名で魯迅に手紙を書き、天津に移って長篇小説『科爾沁旗草原』を書き、抗日戦前後の民族精神が増長する歴史的画面を描き、満州事変前夜の東北人民の抗日的激情と義勇軍の愛国的行為を描写した。1935年、北平にもどり、一二九運動に参加、ほどなく上海へ行き長篇小説『大地的海』を執筆。1936年秋、「鴛鴦蝴蝶的憂鬱」、「爺爺為什麽不吃高粱米粥」などの短篇小説を書き、『憎恨』に収めたが、いくつかの文章は魯迅先生の賞賛をうけた。
 1937年以降、臨汾民族抗日大学文学系に赴任。創作も継続した。1938年4月、蕭紅と一緒に武漢に戻る。8月、重慶復旦大学に赴任、『文摘』副刊を編集。1940年、香港に行き、『時代文学』誌を編集。太平洋戦争勃発後は、桂林に行き、『文藝雑誌』を編集。抗日戦争後、重慶や武漢で新聞雑誌の編集に従事。京劇、話劇も執筆、『科爾沁旗草原』第二部を完成した。1947年、長沙水陸音専の教授として赴任。1948年、香港に移動。
 1949年以降、北京市文聯副秘書長を担当。1952年中国共産党に加入。以降、京劇、評劇、秦腔の台本を多数執筆。この期間、首鋼を生活基地とし、首鋼労働者と共同で、『鋼鉄凱歌』を執筆、同時に散文、短篇小説なども創作した。1963年以降は病身をかこつ。文革後、『曹雪芹』上巻を発表し、広く注目を浴びた。(唐達君)

『中国現代作家大辞典』新世界出版社1992

著書

『端木蕻良』中國現代作家選集 三聯書店香港分店 1988.11

 
 
作成:青野繁治

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