羅淑

Luó Shū
羅淑
ら・しゅく

(1903~1938)

羅淑小伝

 本名、羅世弥、1903年四川成都に生まれる。幼年は筒陽県老馬湾の家塾で学ぶ。その後、成都第一女子師範に入学。1929年フランスに留学。フランスで作家で翻訳家の馬宗融と結婚。1933年に帰国し、上海南翔立達学院高級中学部農村教育科で教鞭を執り、小学部主任を兼任。翻訳と文芸創作にも従事する。
 1936年冬、馬宗融に従い、広西桂林へ。同年、巴金、斳以が編集する『文季月刊』に最初の短篇小説「生人妻」を発表、文壇の注目を浴びる。1937年夏、一旦上海に戻るが、抗日戦が始まったので、衡陽へ行き、馬宗融と成都に戻った。1938年春、成都で産褥のため死去、享年35歳。
 羅淑の作品は多く四川の農村生活に題材をとり、素朴で生き生きとしたタッチで、四川省の貧しい農民を描いている。とりわけ製塩労働者の悲惨な生きざまは、彼らの旧社会に対する反抗精神を反映している。羅淑が亡くなってから、巴金同志が彼女の三冊の創作集と一冊の翻訳作品集を編集出版している。

(『羅淑羅洪研究資料』北京十月文藝出版社 1990)

著書
 
研究資料

『羅淑羅洪研究資料』中国現代文学史資料滙編(乙種) 北京十月文藝出版社 1990.4

作成:青野繁治

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