羅洪

Luó Hóng
羅洪
ら・こう

(1910.11.19~2017.2.27)

羅洪小伝

 羅洪、本名は羅自珍、上海市松江市の人。1910年11月19日、普通の家庭に生まれる。
 1929年、蘇州女子師範学校を卒業。松江に戻り、2年間教員としてつとめ、この頃から作品を書き始める。1931年2月小学校教師を辞し、蘇州へ行って家庭教師となる。それより前、蘇州東呉大学の学生で、後に作家、文学翻訳家となった朱雯と知り合っており、1932年春に上海で結婚した。1935年10月、処女短篇小説集『腐鼠集』を上海の未名書屋から出版、長篇小説『春王正月』の創作に着手する。同年7月、短篇小説集『児童節』を上海の文化生活出版社から出版。満洲事変後の作品は、上海万葉書店から出版した短篇小説集『活路』に収められている。
 1937年抗日戦争が勃発、同年12月に、一家全員で長沙に転居。まもなく朱雯が桂林高級中学に赴任し、文芸刊行物『五月』の主編も務めることになったので、羅洪も1938年2月に湘西から桂林に向かい、朱雯の仕事を助けた。桂林時期の羅洪の作品は、上海文化生活出版社から出版された『為了祖国的成長』に収められている。
 1938年12月、羅洪たちは桂林を離れ、広州湾を経て、香港から貨物船に乗って「孤島」上海に戻った。上海時期の作品は散文集『流浪的一年』に収められ、上海宇宙風社から出版された。
 1941年太平洋戦争が始まり、日本軍は上海を占拠した。『晨』は「孤島」時代を背景とする長篇小説である。1943年12月、朱雯と羅洪は上海を離脱し、安徽省屯渓に到達。羅洪は『中央日報』副刊『毎週文藝』の委託をうけ、原稿依頼の仕事を行なった。ここで福建南平出版社から短篇小説集『鬼影』を出版。1945年には『晨』を『孤島時代』と改名し、中華書局から出版。抗日戦争収束後は、夫婦ともに屯渓から上海に戻る。11月、『正言報』文藝副刊『草原』の編集を引き継ぐ。短篇小説集『這時代』を上海の正言出版社から出版。
 1949年以降、羅洪は南洋模範中学および徐滙女子中学で教鞭を執る。1951年、上海文藝家協会創作隊が成立すると羅洪も参加。1952年、教職を辞し、専業創作を開始、農村や工場に行って、各種の政治改革運動に参加、次々と短篇小説、散文、特写などを執筆した。
 1953年1月、上海で『文藝月報』が創刊され、編集部に入り、小説組の組長となる。9月には上海代表として、第二次全国文学藝術工作者代表大会に出席。1954年、故郷松江の著名な労働模範水稲専家陳永康を訪問。この年、散文特写集『灯塔照耀着我們』を上海文化生活出版社から出版。1955年には、皖北鳳陽県へ行き、農村合作化運動に参加する。その経験をもとに小説や特写を書き、『咱是一家人』として上海新文藝出版社から出版した。<br /> 文化大革命前の十数年間、『文藝月報』『上海文学』および『収穫』の編集に携わった。文革初期には攻撃と迫害を受け、「五・七幹部学校」に行って労働にも従事した。1971年には強制的に退職させられている。<br /> 文化大革命収束後は、1978年から再び執筆活動を開始、いくつかの出版社からの求めに応じて、旧作のなかから作品を整理して数冊の単行本を出版している。古希を過ぎてなお矍鑠として、各種社会活動に積極的に参加し、新しい作品を生み出そうという決意を固めた。

(『羅淑羅洪研究資料』北京十月文藝出版社 1990)

著書
 
研究資料

『羅淑羅洪研究資料』中国現代文学史資料滙編(乙種)北京十月文藝出版社 1990.4

関連リンク
姚羅英
作成:青野繁治

Chinese Literature Site

error: Content is protected !!