李英儒

Lǐ Yīngrú
李英儒
り・えいじゅ

(1914.12.2~1989.3.6)

李英儒小伝

 河北清苑の人。30年代初め、保定の志存中学に入学。詩歌や散文を書いて、『幽燕』『河北民声』および学校の刊行物『興華』に掲載されている。

 1937年、日華事変のため、大学を受験できず、郷里に戻って、晋察冀辺区で抗日救亡活動を行なった。翌年1月に八路軍に参加、編集者、記者を担当、後に歩兵団長に就任、大小数十回の先頭に参加。1940年から少なくない短篇小説、散文および歌詞を書いた。1942年には保定で地下工作に従事、後の文学創作のために豊富な題材を蓄積した。1953年部隊の文化的ポストに戻り、勤務時間外に長篇小説『戦闘在滹沱河上』を書いたが、評論界は建国後に比較的早く現れた優秀長篇であると見なした。1958年、1958年、長篇小説『野火春風闘古城』を発表。この作品は抗戦時期の中国共産党地下工作者の保定地区における戦闘生活を生き生きと描写し、後には英語、日本語、ロシア語、ブルガリア語、朝鮮語など多くの外国語に翻訳された。また映画や話劇、地方劇に脚色された。
 文化大革命中は迫害を受け、8年にわたって拘束された。しかし獄中の困難な条件下、本の字と字の間に歯磨きチューブを筆代わりに、ヨードチンキをインク代わりにしてこっそりと作品を書いていた。出獄のときは長篇小説2冊分の草稿、計100万字をもって出た。
 解放軍総後勤部文化部、宣伝部副部長、八一電影制片廠顧問兼『八一電影』主編を担当した経歴もある。

(李家平『中国現代作家大辞典』新世界出版社 1992)

著書
 
研究資料

『中国当代文学研究資料 李英儒研究專集』解放軍文藝出版社 1984.10

作成:青野繁治

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